海外においてビジネスを行う際に、より正確な現地情報を取得することが成功への第一歩であることに、疑問の余地はないだろう。ただ一方で、発展途上国においては日本と同じレベルでの情報の取得が難しい場合が多く、海外進出戦略立案の際に、まず真っ先にハードルとして立ちはだかる。特にミャンマーのように、今まで軍事政権下においては自由に情報の発信がままならず、また信頼できる情報発信機関の数も限られている場合はなおさらだ。
今回は、ミャンマーにおける市場調査会社の草分け的存在で、軍政時代の1992年に設立され、現在その分野でのトップ企業であるMyanmar Marketing Research & Development Company (MMRD社)をご紹介したい。その創業者でマネージングディレクター(MD)を務めるU Moe Kyaw氏に、彼が事業を開始して現在まで拡大してきた経緯から、現地における情報取得の難しさと現在の市場調査に対する考え方の変化について話を聞いた。
ミャンマー初のイエローページを創刊
Photo:Japan Asia Strategic Advisory
MMRD社は、現在ミャンマーにおいて200余名の従業員を抱え、そのうち100名以上のインタビュー要員が、ミャンマー全土の13カ所のオフィスで、業界調査、フィージビリティースタディー、マーケティング調査、消費者動向調査、各種の市場調査を行っている。今でこそここまで規模を拡大したが、20年前に創業したころは、まだミャンマーでは軍政の最中であり、自由に情報を発信することは困難な時代だった。そんな時代に、そもそもなぜ情報調査会社を設立したのであろうか。
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――英国育ちで、大学も英国で出られたと伺っています。
MD そうです。ロンドンにあるWestminster Universityで、機械工学を専攻しました。卒業後はコンピュータシステム関連の仕事につきました。
――なぜミャンマーに戻られたのですか。
MD 私がミャンマーに戻って来たのは1990年で、私がまだ24才の頃です。1988年にそれまでの社会主義の政権が崩壊したことを受けて、ビジネスの機会が広がるだろうとの思いで帰ってきました。その当時は、英国でも行っていたコンピューター関連の仕事を立ち上げようと思ったのです。
――その事業はうまくいきましたか。
MD いえ、非常に苦労しました。まず、その当時は今以上に電力事業が悪く、安定して電気が来ませんでした。電気が来なければコンピューターは使えません。また、当時はまだミャンマーの人々にとって、コンピューター自体がまだ馴染みがなく、当時のシステムや機器は、彼らが必要とし理解できるレベルを大きく上回っていました。