ものごとを決めていく過程で互いに「異見」をぶつけ合うこと、そしてそれができる雰囲気を作ることは、著者にとってはマネジメントチームを運営する上での大原則だ。その前提となる心がけが3つある。

 第一に、リーダーはまずは聞き役に徹すること。第二に期限を区切ること。結論が出ない場合も、「いつまでに何をアップデートする」と決めなければならない。第三に、リーダー自身の口で方向性を決めること。そして一度決めたらぶれないこと。「著者が責任を持つ」とストレートに伝えることだ。

 2014年12月、我々は大きな決断を下すことになった。パソコン事業の売却とテレビ事業の分社だ。「平井はエレクトロニクスを知らない“外”から来た人間だから冷徹な判断を下せるんだ」と批判を受けた。

 しかしソニーの経営を預かるリーダーとして一度決めたことは、何があっても最後までやり抜く。言い訳や愚痴はなし。何と言われても結果を出す。それが役目だと感じていた。

◆ソニーの復活と卒業
◇「量から質へ」の全社経営

「意志あるところに道が開ける」というのが、著者の信条だ。「量から質へ」の転換を全社レベルで進め、売上高の代わりに、ROE(自己資本利益率)を指標として掲げた。

 ソニーのトップとして著者に課せられた最大のミッションは、会社のターンアラウンドだった。一方、長期的なソニーの成長のための技術資産、ブランド、お客様からの信頼、人材、それらが継続して育つような組織文化を残すのが、マネジメントチームの最も大事な仕事だと言える。

◇ソニーを去る決断

「120%の力でアクセルを踏み続けることができるのか」。退任を決意する前に、何度も自分に対してこう問いかけた。ターンアラウンドはほぼ実現し、ソニーは確実に成長のステージへと動き始めていた。成長戦略を描き、それを実行するという次のステージでの仕事を担うべきは、著者ではない。そう考えるようになった。ソニーを去る決断をした。

 幸い、成長モードに入ったソニーのかじ取りを託すのに打ってつけの人物がいた。二人三脚で走り抜けてくれた吉田憲一郎さんだ。

 著者とはまったくタイプの違った人だからこそ、会社にとって良いと思った。財務に明るく、分析能力に長けた彼が社長兼CEOになれば、著者とは違った形で会社を導いてくれるだろう。吉田さんのリーダーシップのもと、ソニーは「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」というパーパス(存在意義)を掲げる。

 2021年4月には社名を「ソニーグループ」に変更し、新たな第一歩を踏み出した。「ここでやるべきことはもうない」として、著者はソニーを「卒業」した。

◇人生は続いていく

 著者は会社のために働いてきたわけではない。あくまで自分の人生と家族のためだ。

「卒業」してしばらくは、充電期間に充てていた。毎週みっちり筋トレしたり水泳をしたり、コロナ禍の前は妻と旅行に出かけたりもしていた。