なぜなら、会社に貢献してくれた人への敬意を示したかったから、そしてつらい仕事を人任せにするリーダーに人はついてこないと考えたからだ。難しい判断であるほど、特に心が痛むような判断であればそれだけ、自ら伝えなければならない、と思っていた。

【必読ポイント!】
◆SCE、そしてソニーの再建へ
◇「おまえたちはソニーを潰す気か」

 元気のなかったソニーにとって久々に持ち上がった野心的なプロジェクトが、Cellという新しい半導体を搭載した「プレイステーション3」の開発だった。家庭用のスーパーコンピュータとも言える「プレステ3」は、税込みで6万2790円。「プレステ2」に比べ2万円以上も高く、批判の声がやむことはなかった。

 結局「プレステ3」は発売直前の9月に値下げを発表するという異例の事態に追い込まれ、日本では1台4万9980円とした。売るごとに赤字が積み上がる苦渋の選択になってしまったのだ。

 さらには、部品の生産歩留まりが上がらず量産の効果も得られない。絶好調だった「プレステ2」から一転して、大きな危機が迫っていた。そんな中、著者はSCE本社社長兼COOに就任したのである。さらには久夛良木さんからCEOも引き継いだ。

「おまえたちはソニーを潰す気か」。ソニーの幹部から電話がかかってきた。ソニーの業績を牽引していたSCEが、「プレステ3」の立ち上げ失敗で2006年度決算は2300億円の赤字となってしまった。

「プレイステーションはゲーム機である」という原点に立ち戻った。作れば作るほど、売れば売るほど赤字になる状態から、3年半かけて逆ザヤを解消していった。

 コストカットは文字通り爪に火をともす作業の連続だ。コストカットの会議に出続け、いつまでにどうやればコストがいくら下がるのかを繰り返し検討を重ね、そして実行した。近道などなかったのである。

◇四銃士からソニー本体のトップへ

 世の中がリーマンショックの激震に揺れていた2009年の2月末。ソニーが経営体制の変更を発表する記者会見で、社長兼CEOに就いたハワード・ストリンガーさんから「ソニーの四銃士」の一人として著者は紹介された。こうして突然ソニーの次期トップ候補の一人に祭り上げられたものの、音楽とゲームというエンタテインメント部門出身で外様のようなものだった。