徴兵されるのは若い世代だが
判断するのは年寄り世代の政治家というゆがみ

 さて、ウクライナ侵攻でも徴兵についてのニュースがたびたび目につくようになってきました。若いひとたちから見れば「徴兵」という言葉は、外国のとても遠い話に聞こえるかもしれません。

 実は私が生まれた昭和の時代は、戦後でもまだ戦争の爪痕がそこかしこに残っていた時代です。なにより私の祖父が徴兵され戦死しています。

 そういった戦争の話もたまには話した方がいいと思い、戦後世代が感じている徴兵についてのモヤモヤをもう少し話しておきたいと思います。

 徴兵のモヤモヤの二つ目の話は、徴兵されるのは常に若い世代だということです。要するに軍事行動には運動能力が必要なので、必然的にガチのスポーツを現役で楽しめるぐらいの身体能力がある世代でなければ、軍に入っても戦力にならないという事情があるわけです。

 男女平等の世の中でも、徴兵に関しては男性に限る国が多い(注:イスラエルやノルウェーなど男女平等に徴兵する国はあります)のもこの事情からです。20代で軍隊を経験し、除隊後も40~50代まで予備役として登録され有事には招集されるというのが、徴兵制度のある国では多いケースのようです。

 その話がどこでモヤモヤするかというと、徴兵されるのは若い世代であるにもかかわらず、戦争の判断を下すのは戦争に駆り出されない年寄りの世代の政治家だということです。19世紀の軍人クラウゼヴィッツの戦争論では「戦争は政治の一つの手段である」とされています。

 このモヤモヤを感じたきっかけは、プーチン大統領が30万人の予備役の招集をかけたことです。「そこまでやるのだったら戦争を70歳の国家のリーダーが決めるのではなく、動員される国民がその判断に関与できるような新しい国際ルールができた方がいいのではないか」と思ったのです。まあウクライナに関しては、公式には戦争とは呼ばないのですが。