証券会社にとって、当時の主な売買対象は個別株だった。固定手数料の時代だったので、株式売買の手数料が大きな収益源だった。

 後から見るとどの株も上がったように見えるバブルの時代でも、顧客にもうかる株を勧め続けて「回転を利かせる」ことは容易ではなかった。ほどなく値上がりしない株に捕まる。含み損を抱えた株ばかりになると、顧客の資産が動かなくなるので、別の客の資産を攻めることになる。まるで、「焼き畑農業」のような営業ビジネスだった。

「新規顧客の開拓」「資産残高営業」という言葉は当時から証券会社内のキャッチフレーズとしてあったが、全ての証券会社で「株式売買手数料への過度な依存」が問題視されていた。そして、その「体質」はなかなか改まらなかった。目の前に手数料があれば、これを取りにいきたくなるのが人情だ。これは、普遍的なインセンティブだ。

回転売買のターゲットは
株式から「投信」に

 回転売買の対象が、株式から投資信託に変わるのは、90年代後半からで、特に株式の売買手数料が完全自由化された98年の「日本版金融ビッグバン」以降のことだ。東京証券取引所第1部の上場銘柄でも証券コードを覚えていない「株屋ではない」証券マンが増えた。

 銀行の窓口で投信の販売(通称「窓販」)が始まって、当初銀行は「われわれは回転売買のような営業はしない」という態度だった。ところが、ほどなく投信に慣れて手数料稼ぎの味を覚えると、証券会社と大して変わらないセールス部隊になった。

 もともと証券会社にも、過剰な回転売買はいけないことだという認識があった。当時の大蔵省の検査で個別に指摘されていたからだ。

 各社は「顧客の利食いになっていて、購入から3カ月以上たっていること」といった回転売買に関する勝手な自主ルールを社内に設けていた。もっとも、「顧客自身が望んだ売買だ」という顧客の署名捺印入りの念書を用意すれば破ってもいい程度の緩い内規だ。そして、どの程度のケースまでをまずいと判断するかは、大蔵省の検査官のさじ加減であった。