「自筆」の履歴書?
読んで感心したのは…

「私の履歴書」は出来上がりでは本人が書いた体裁になっているが、本当に本人が書いたケースと、記者が聞き書きで、いわばゴーストライターを務めて本人の了解を得て発表されるケースの2通りがあると言われている。

 推測なので間違っているかもしれないが、今回の黒田履歴書は、黒田東彦氏本人が文章を書いているように思う。ここまで13回の文章には隙が無いし、関係者の固有名詞が非常に多い。本人が慎重に書いていることがうかがえる。

 おそらく、日経の担当者は、畏れ多くて文章そのものに手を入れるようなことはできないでいるだろう。事実確認の下働きと、日経流の用字用語との調整くらいに関与はとどまっているのではないだろうか。

 ちなみに、記者の関与が小さい「履歴書」がいいとは限らない。例えば、作家であることを自認する俳優などが自分で文章を書いて、担当者が作家先生の文章に手を入れられなかったために、読むのが苦しくなるような駄文が載ることも過去にはあった。

 黒田履歴書は、「きっちりと」書かれている。ただ、その分、読者にわくわくして次回を待たせるような文章的な起伏やサービス精神には乏しい。

 今まで掲載された黒田履歴書の前半を読んで感心したのは、知性をひけらかすような自慢話のニュアンスが一切ないことだ。

 筆者は、黒田氏の近くで働いたことのある人から、黒田氏が他に例を見ないくらいスケールの大きな知識人であり、優れた知性の持ち主だとの評判を聞いていた。幼少の頃、学生時代、若手官僚時代に、どれほど優れていたのか、どのようなエピソードがあったのかと注目して読んだのだが、自慢臭は見事に100%脱臭されていた。いわゆるインテリが書いた過去の振り返りでは、まことに珍しいことだ。

 もっとも、事実を読むと、例えば大学生時代では、在学中に当然のように司法試験に受かっているし、教授から助手の声が掛かるか否かという状況があったようで、凡百の東京大学法学部生とはレベルが段違いであったことは分かる。