先月、上海出張中のことだった。浦東空港に降り立った私はタクシーを拾うと、荷物をもったまま、浦東の東方路と張揚路の近くにある96プラザに駆けつけた。仕事の打ち合わせが待っているからだった。タクシーの運転手は30代の女性だ。行き先を告げると、「96プラザなら知っている」との答えに安心した私はそのあと、ほとんど携帯電話を弄(いじ)っていた。

道を知らなかったタクシー運転手

 40分間くらい走って、96プラザが左手に見えてきた。私もすっかり安心した。飛行機の到着が遅れたが、約束した時間になんとか間に合う、と。そこで意外なことが起きた。タクシーは曲がるべき交差点に来ても、まったくスピードを落とす気配はなかった。なぜだろうと思っているうちに、交差点を過ぎてしまった。思わず「どうしていまの交差点で曲がらなかったのか」と確かめたら、「えっ?いまの交差点を曲がっても96プラザに辿りつけるんですか」と運転手が逆に驚いた。

 そこで私はようやく重大なことに気付いた。運転手は96プラザの東方路側の入り口しか知らないのだ。まるで東京では皇居に行くとき、タクシーの運転手が日比谷沿いの入り口しか知らないのと同じことだ。具合の悪いことに、東方路には中央分離帯が設けられており、タクシーはひたすら前へ進むしかなかった。ようやく左折できる交差点に来て、車がUターンして走ってきた道を戻っていく。わずかに確保できた時間の余裕がすっかりとなくなってしまった。

 怒りこそ爆発していないが、語気に怒気が含まれているのを自分でも感じた。運転手は申し訳なさそうにお詫びした。「私は安徽省からやってきた運転手です。大きなところは一応覚えましたが、道の細かい対応方法はまだ分からず、申し訳ありません」

 安徽省観光大使も務めているから、その「安徽省からやってきた」という弁解の言葉を聞いた瞬間、彼女を許した。労働力不足問題が次第に顕著になってきた上海ではタクシー運転手の確保に四苦八苦している事情を知っているからだ。