「私、先生を尊敬します」
数年前、元首相の村山富市は機中で、キャビンアテンダントにこう声をかけられた。
村山が大分から羽田に向かう飛行機のエコノミー席に座っていたからである。
村山としては特別のことをしているつもりはなかった。首相も辞めたのだし、むしろ、スーパーシートに乗っているほうが落ち着かない。
政界の猛者たちが
村山に惚れる理由(わけ)
1945年山形県酒田市生まれ。評論家、『週刊金曜日』編集委員。高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家に。「社畜」という言葉で日本の企業社会の病理を露わにし、会社・経営者批評で一つの分野を築く。経済評論にとどまらず、憲法、教育など現代日本のについて辛口の評論活動を続ける。著書に『保守の知恵』(岸井成格さんとの共著、毎日新聞社)、『飲水思源 メディアの仕掛人、徳間康快』(金曜日)など。
そんな村山の飾らない人柄に、とりわけ癖のある政治家たちが魅せられた。
連立政権は“strange bed fellow”、すなわち奇妙な同衾者を生むと言ったのは、社会党と会派を組んでいた参議院議員の國弘正雄だが、自民党、社会党、そして新党さきがけの、いわゆる「自社さ政権」を支えた自民党の猛者の亀井静香や野中広務は、いっぺんで村山に惚れた。亀井など「オレはハトを守るタカだ」と吹聴する始末である。
1994年当時、下野した自民党が政権復帰を狙い、それまで敵対していた社会党の委員長をかついだ。
しかし、村山政権もそう簡単に誕生したわけではなかった。村山の属する社会党も左派と右派に分かれ、多数を占める右派は自民党を出た小沢一郎と通じていたからである。
亀井らが左派に支持されている村山をかつごうと主張しても、多くの自民党議員は、とんでもないと猛反対する。
強気の亀井でさえ、やはりダメかと思ったとき、大分選出の衛藤晟一が立ち上がった。
「村山さんが総理になったら一番困るのは私です。その私が、それは国のため、党のためになるのならと了解しているんだからいいじゃないですか」
選挙がどんなに大変なものか、議員はよく知っている。サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙に落ちればタダの人となる。
不利になることを承知の衛藤の発言で、議員総会は一瞬にして静かになった。
あるいは、衛藤が最も「村山惚れ」だったのかもしれない。