ダイヤモンド社のビジネス情報サイト

【敗れざる人々(4)】
もはや「気の毒な被災者」ではない
真剣勝負に出る南三陸町の挑戦者たち
――日本経済新聞編集委員 大西康之

大西康之 [日本経済新聞 編集委員]
2014年9月1日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

宮城県南三陸町。2011年3月11日の東日本大震災で壊滅的な被害を受けたこの町にも「敗れざる人々」がいる。地元経済は震災の前から、すでに行き詰まりつつあった。水産加工以外にこれといった産業もなく、若者たちは仙台や東京に出ていく。漁業は後継者難に直面していた。そこに、とどめを刺すかのような津波。「もうだめだ」と諦めてもおかしくない状況の中、それでも未来を信じて歩を進めている人々の姿を追う。

今でもあのおばあちゃんがいる気がする

 あの日、阿部民子は海岸近くのワカメの作業場にいた。立っていられないほどの強烈な地震のあと「津波がくる」と思って、高台の自宅に逃げた。海をはるか下に見下ろす阿部の自宅は、波が届くはずのない場所だった。

 「お父さんは、ちゃんと沖に逃げたかな」

 ワカメの養殖で海に出ていた夫を気遣いながら庭にいると、突然、近所の人の声が聞こえた。

 「逃げろ!」

 振り返ると、波は目の前に迫っていた。慌てて駆け出した瞬間、シルバーカーを押す老婆の姿が視界に入った。

 「おばあちゃん、逃げて」

 民子は叫んだ。助けに行こうと思ったが、波に足をすくわれかけた。無我夢中で山の斜面を駆け上がった。

 船を沖に出して津波を免れた夫は、しばらく洋上で足止めされたが、数日後に戻ってきた。船も無事だった。二人の息子はすでに南三陸を離れている。しかし、民子の心には老婆を救えなかった自責の念が残った。

 今でも部屋のカーテンが揺れると「あのおばあちゃんがいる気がする」。

 震災前、民子の住む戸倉地区には漁業を営む家が27軒あった。作業場が壊れ、船を流された人もいたので、漁業協同組合(漁協)を作って国や自治体の支援を受けた。自営の漁師が一時的に月給取りになったわけだ。民子の夫も漁協で養殖の仕事を再開したが、民子は海に出られなかった。

 「お父さんごめん。私、まだ海さ怖い」

 民子は仮設住宅に住む高齢者を見回る監視委員の仕事を始めた。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

大西康之[日本経済新聞 編集委員]

おおにし やすゆき/日本経済新聞 企業報道部 編集委員、1988年日本経済新聞社入社。欧州総局(ロンドン)、日経ビジネス編集委員などを経て2012年から現職。著書に『三洋電機 井植敏の告白』(日経BP社)、『稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生』(日本経済新聞出版)がある。

 


DOL特別レポート

内外の政治や経済、産業、社会問題に及ぶ幅広いテーマを斬新な視点で分析する、取材レポートおよび識者・専門家による特別寄稿。

「DOL特別レポート」

⇒バックナンバー一覧