あのときなぜ学生たちは怒ったのか
北京大学の「会商」制度を思い出す

 2010年の秋頃、北京大学で「会商」という制度が実施された。日本語で「会商」とは“会合して相談すること”を指すが、中国語でも基本的に同義語である。

 学業に苦しんでいたり、経済的に困難だったり、精神的に弱っていたり、仕事が見つからずに落ち込んでいたり……といった問題のある学生たちに対して、大学当局のスタッフが会合を持ちかけ、面と向かって相談するという試みであった。

 これは、言ってみれば学級指導あるいは心理カウンセリングのようなもので、学生たちが安心して勉学に取り組めるような環境をつくるという意味では、前向きな取り組みだと言えた。

 1つだけ、北京大学生のあいだで物議を醸した点があった。それは、大学当局が接近する対象に「思想が偏った学生」が含まれていたことである。

 多くの在学生は怒った。

 そもそも、“思想が偏っている学生=問題のある学生”と定義づけるやり方に怒りを露わにしたのである。北京大学が歴史的に大切にしてきた自由や民主主義といった伝統に反するからだった。

 1917年、中華民国初代教育総長も歴任した蔡元培が北京大学の学長に就任すると、瞬く間に“思想の自由に則り、多くの事柄を包括すること”の意義を解いた。それからと言うもの、思想に対する自由と包容は北京大学の校是と見なされるようになったのである。

「会商」の波は、同大国際関係学部で学ぶ私の後輩たちにも及んだ。西側の価値観や政治制度を信奉し、授業中や校内外で「中国も西側に倣って自由民主主義を取り入れるべきだ」といった主張をする学生が、学内の異端児、もっと言えば危険分子として、会商制度の“重点対象”となった。西側の自由や民主主義を真剣に学び、中国の発展にどう活かせるかを模索する=西側の価値観やイデオロギーに洗脳されている、というのが共産党の支配下にある大学当局の判断だったからだ。

 在校生や卒業生をはじめ、北京大学関係者の多くが、「会商制度がキャンパス内における思想や言論の自由を脅かす存在になるのではないか」という懸念を示した。

 あれから4年以上の月日が経った。

 胡錦濤時代から習近平時代へ、政権も変わった。