それでも、職人たちに『次世代育成はあなたたちにしかできない大切な仕事だから』と育成の重要性を説き続けるうち、徐々に教えられるようになりました。また、テーラー技術学院で、カリキュラムやテキストを用意したこと、職人が講師として教える経験を持っていたことも、若手の育成に役立ったようですこうした取り組みが功を奏し、3年経った今、若手たちはスーツの縫製が一通りできるまでに成長しているそうです。

ただの部下より可愛い?“孫部下”

 若手職人たちの成長スピードが速まった理由の1つとして中山さんは「2年ほど前から、日本テーラー技術学院で、若手職人たちが講師を務めるようになり、教えることで学んでいること」を挙げます。

 日本テーラー技術学院のコースは、職人の手ほどきを受けながら、1年間かけてテーラーメイドのスーツづくりを学ぶというもの。プロのデザイナーや縫製士などさまざまな人が、「テーラーメイドの奥深さに魅せられた」「スーツを自分でつくってみたい」と、集まっています。

 卒業生の1人は、銀座テーラーの縫製士になりました。講師を務める縫製士の鈴木さんは「生徒さんの中にはプロの方も多い。『下手なことは教えられない』と気が引き締まり、こちらも勉強になります」と話します。

 また、テーラーメイドの伝統の技術を生かしつつ、若い顧客層を意識した商品開発にかかわらせるなど、若手に新しいチャレンジができる機会も提供しています。

 鰐渕さんは語ります。「人を育てるには時間も手間もお金もかかります。それをあえてやるには、絶対にテーラーで生き残るという『続ける意思』が必要ではないかと考えます。今後も、若い彼らが働き続けたいと思えるような環境づくりをしていきます」。

 ベテラン職人たちと共に働くことで、鈴木さんは、「仕事に対するこだわりを強く感じます。スーツという研究対象に、一生をかけて取り組み続けているようにも見えます」と話し、仕事に対する姿勢、考え方についても大きく影響を受けているようです。

 一方、若手職人の存在は、ベテラン職人たちにも大きな影響をもたらしました。「若手が来てから、職場の雰囲気が明るくなりました。無口だった職人たちが、よくしゃべるようになり、なんだか若返りました。笑い声が聞こえることもあります。

 彼らにとって、20代の職人たちは部下や後輩というより、大切な“孫”のようなもの。自分たちの培った技を熱心に学ぶ彼らを本当にかわいがってくれています」と中山さん。銀座テーラー最高齢の職人は75歳。消えかかっていた職人の技とその精神は、20代と70代が共に働く工房で、次世代へと伝えられているようです。

Reflection 中原淳の視点 「意識してつくられた、共に働く『育成空間』」

「ベテランから若手への技術継承」について、課題意識を持つ企業・組織は少なくありません。しかし、技術や知識は、「モノ(物体)」を動かすように、右から左に自由自在に「動かせる」わけではありません。多くの技術・知識は、ベテランの「全人格」の中に「埋め込まれて」おり、それらを若手が感じ取り、理解し、習得するためには、「共に働く長い時間」と「深いコミュニケーション」が不可欠なのです。

 技術継承の阻害要因は「時間や接点」だけではありません。「ベテランの被教育経験」が災いすることも多いものです。かつて「職人の修行」とは「言語なき世界」、すなわち「背中を見て育て、の世界」でした。かくしてベテランは、ともすれば自分が若い時にした苦労を今の若手にも押しつけてしまいがちです。

 しかし、一般に人は「他者に教えようとする時」、「自分自身が他者から教えられ、学んだ苦労ややり方」を「再生産」するものです。

 銀座テーラーさんでは、ベテランと若手が「共に」仕事をして、一つひとつ教えていく仕事環境がつくられていました。そのためには、ベテランの方々に施策の趣旨を理解して頂き、繰り返し対話する経営側の努力が必要になったと想像します。

 鰐渕専務取締役は、「人を育てるには時間も手間もお金もかかる。あえてやるには、絶対にテーラーで生き残るという『続ける意思』が必要です」と、おっしゃっていました。もしここで育成をやめてしまえば「銀座テーラー」というお店や「服を仕立てる文化」が失われる。こうした危機感の背後に、今回の取り組みがあるように感じます。

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