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モビリティ羅針盤~クルマ業界を俯瞰せよ 佃義夫

スズキとVWの離婚騒動に学べ!
生き残れる自動車提携の条件

佃 義夫 [佃モビリティ総研代表]
【第13回】 2015年9月11日
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VWとの提携がついに解消決定
スズキが得た「重い教訓」とは?

VWとの提携解消が決まり「のどに小骨が引っかかっていたのが、非常にすっきりした」と会見した鈴木修会長CE0(右) Photo by Hidekazu Izumi

 それは、猛暑から一転して秋のような涼しい今夏の終わりの日曜だった。8月30日の午後3時に、スズキ東京支店広報から、「本日、お休みのところ恐縮ですが、午後4時半から緊急会見を行いますので出席願いたい」と、筆者の携帯に電話が来た。

 緊急会見会場は、スズキの鈴木修会長CE0が好んで使うホテルニューオータニだった。余談だが、このホテルはかつてスズキが米GMと資本提携を締結した際の発表記者会見も行っている。

 「のどに小骨が引っかかっていたのが、非常にすっきりした」

 鈴木修会長は、社長職を譲ったばかりの長男・鈴木俊宏氏と壇上に並びながらも、この案件は会長マターであるだけに、「オサム節」で満足げにこう語った。独VWとの「離婚」がついに実現したのである。

 遡ること6年前、スズキは米GMに代わる提携先に独VWを求め、VWはグローバル戦略拡大のためにスズキを欲した。2009年9月に両社は電撃的な包括提携を締結した。両社の対等なパートナーシップを前提にスタートしたはずの提携だったが、VWの真の目的はスズキの支配だった。同社が突如スズキを持分法適用会社に位置づけてきたことに端を発し、対等関係で合意したと確信していたスズキの不信感が噴出したのだ。

 スズキはVWに対し、円満な協議を通じて提携及び資本関係を解消することを求めたが、VWがスズキの求めに応じなかったため、2011年11月に国際商業会議所国際仲裁裁判所に仲裁を申し立てた。

 しかし、この仲裁裁判は異常なほど時間を要した。提訴から3年目の昨年9月にようやく調停人との仲裁行程が終わり、仲裁判断を待つばかりとなったとされた。しかし、昨年も年内中は音沙汰なしで、今年に入っても3月、6月と期限のメドとされた時期に提示がなかった。

 「待てども来ないから決めた」

 鈴木修会長は株主総会を終え、6月30日に臨時取締役会を開き、トップ人事を決議して、長男・鈴木俊宏を新社長に登板させる。

 社長を長男の俊宏氏に譲っても代表取締役会長兼CEOとして「生涯現役」を謳う鈴木修氏にとって、VWとの提携解消は頭の痛い課題だった。それからちょうど2ヵ月後、実に3年9ヵ月かかったVWとの「離婚決着」で、とりあえず安堵の境地に達することができた、といったところか。

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佃 義夫[佃モビリティ総研代表]

つくだ・よしお/1970年、創刊86周年(2014年2月時点)の歴史を持つ自動車産業日刊専門紙『日刊自動車新聞社』入社、編集局に配属。自動車販売(新車・中古車)・整備担当を皮切りに、部品・物流分野を広域において担当した後、国土交通省・経済産業省など管轄官庁記者クラブ、経団連記者クラブ(自工会分室)と、自動車産業を総合的に網羅し、専任担当記者としてのキャリアを積む。その後、該当編集局内における各分野のデスク・論説担当編集局次長を経て、出版局長として自動車産業オピニオン誌『Mobi21』を創刊。以降、取締役編集局長・常務・専務・代表取締役社長を歴任。45年間の社歴全域で編集・出版全体を担当、同社の「主筆」も務める。日刊自動車新聞社を退任後、2014年に「佃モビリティ総研」を立ち上げ、同総研代表となる。


モビリティ羅針盤~クルマ業界を俯瞰せよ 佃義夫

「自動車」から「モビリティ」の時代へ――。クルマ業界が変貌を遂げつつあるなか、しのぎを削る自動車各社。足もとで好調を続けるクルマ業界の将来性と課題とは、何だろうか。日本の自動車産業・クルマ社会をウオッチしてきた佃義夫が、これまでの経験を踏まえ、業界の今後の方向・日本のクルマ社会の行方・文化のありかたなどについて、幅広く掘り下げ提言していく。

「モビリティ羅針盤~クルマ業界を俯瞰せよ 佃義夫」

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