「考える」ことほど、効率の悪いものはない

学ぶという行為は、日本語の語源が「まねぶ」であることからも明らかなとおり、本質的には「マネ・模倣」である。つまり、他人が生み出したアイデアを己のうちに摂取することにほかならない。

効率性を考えた場合、自分の頭で考えることほど効率の悪いものはない。
たとえば、どれだけの時間を与えられれば、あなたは「ピタゴラスの定理」を考えつくことができただろうか?
おそらく99.9999%の人が、一生かかってもその発見には至らなかっただろう。

一方、これを学ぶだけであれば、1時間もあれば十分だ。先人が命をかけて生み出した成果を一瞬で摂取できてしまうのが、学ぶという行為の素晴らしいところである。

あえて言うまでもなく、ビジネスはスピードだ。だから、「さっさと知識を仕入れてしまったほうが優位に立てる」という局面は少なくない。

なぜビスマルクは日本に
「考えるな!学べ!」と言ったのか

国家間の競争である国際政治の世界でも同じようなことが言える。
たとえば、明治維新直後の日本は、まさに「学ぶ」を実践し、その時代の危機をくぐり抜けた好例だ。

明治維新がひとまずの完成を見て、新政府ができてからも、いわゆる明治の名君たちは革命の美酒には酔えなかった。アメリカやヨーロッパの列強諸国がアジアの国々を植民地化しようと画策しており、その脅威が日本にも迫っていたからだ。富国強兵を急務とした日本は、岩倉具視を団長とした岩倉使節団を欧米諸国に派遣した。

そのときの日本が最も学んだのがドイツ帝国である。ドイツを訪れた岩倉使節団は、1871年ドイツ統一の立役者であるビスマルクに出会い、象徴的な助言を受けている。詳細はさておくとしても、ビスマルクが語ったのは、次のような趣旨のことだった。

「日本はいま考えてはいけないよ。我々もいまは考えていないのだから」

ビスマルクの意図はどこにあったのか?

当時のヨーロッパでは、イギリスが世界最先端をひた走っていた。まだ統一からわずか数年しか経っていないドイツから見れば、イギリスとの間には歴然たる差があることは否定できない。

だからビスマルクは考えた――ドイツに何より必要なのは、考えることではなくまず学ぶこと、より有り体に言えば、イギリスを徹底的にマネることだ。同じ状況下にある日本にも、そのまま同じことが言える、と。