「幸せ食堂」繁盛記
【第二十九回】 2016年6月13日 野地秩嘉

昭和の下町の風景を撮り続けた
カメラマンが営む浅草橋の洋食屋。
名物はオムライスと、ボリューム満点の三色ライス

モノクロームの男

 店内には彼が撮った作品が飾ってある。いずれも昭和の風景を撮ったもので、モノクロームだ。

「昭和の30年代、40年代の写真が多いかな」

 浅草の雷門、明石町の聖路加病院、千住のお化け煙突…。熟年客が見たら、なつかしさのあまり、嗚咽してしまう写真である。

「いまでも撮影はしています。もちろんフィルムですよ」

 彼が使っているのはコダックのモノクロームフィルム、ASA400。自身で現像し、ネガフィルムに仕上げる。その後、パソコンでスキャンしてからプリントアウトする。

 いまや、モノクロフィルムだけで撮影しているプロカメラマンはいったい何人いるのだろうか。秋山の撮影スタイルは写真と同じように昭和のままだ。

 一新亭のメニューは14品。オムライス(750円)、ハヤシライス(1000円)、カレーライス(700円)、メンチカツライス(950円)、生姜焼き肉定食(950円)といったラインナップである。

 看板メニューは三色ライスだ。ここに来る客の半数はそれを注文するという。秋山は言う。

「三色パンってご存じかな? カスタードクリーム、チョコクリーム、あんこの詰まった三角形の菓子パン。うちの三色ライスはオムライス、ハヤシライス、カレーライスの3つを一皿に盛ったもの。最初はまかないだったの。そうしたら、どこかで噂を聞いた人が漫画の『美味しんぼ』の人たちに伝えたらしく……。誌面で紹介されたら大人気になっちゃって」

 三色ライスは一新亭だけのメニューだ。0.7人前のオム、ハヤシ、カレーの各ライスが一皿になっているわけだからボリュームはかなりのものである。食べ終わると、チョモランマに登頂したような征服感、充実感で心が満たされる。小食の人、熟年の人こそ若さと精気を取り戻すためにチャレンジすべき一品だ。

 もうひとつの名物、オムライスにはコロッケ、魚フライ、メンチカツなどがトッピングできる。メニューにはその旨が記してある。

 トッピングメニューが添えてあると、人間は弱い。ついつい何かトッピングしてしまうのである。わたしはコロッケを追加した。食後にはこれまた充実感を得ることができた。

 いずれも味つけは家庭風。あっさりとしていてやさしい味だ。ビールや酒に合う味ではない。水かお茶で、ご飯を食べて帰る店だと思う。主人もうなずく。

「メニューにはビールと書いてあるけれど、あんまり出ないから、置いてないことの方が多いんだ。まあ、食べに来てください」

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野地秩嘉 

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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