ブレグジットとトランプ大統領誕生という世界を揺るがした大事件の背後には「若き天才」たちがいた
ケンブリッジ・アナリティカのPSYOPが成功するためには、ターゲットとなる有権者の膨大なビッグデータが必要だ。疑惑の焦点は、それをフェイスブックから不正に入手したのではないかというものだった。
2015年12月、英紙ガーディアンが、アレクサンドル・コーガンなる「ロシアと関係の深い」ケンブリッジ大学の講師が、フェイスブックのデータをケンブリッジ・アナリティカに提供したとの疑惑を報じた。記事によれば、コーガンは2014年にアマゾンの「メカニカルターク」で「これがあなたのデジタルライフです」という性格診断クイズを実施し、応じたユーザーに1ドルずつ払った。ユーザーがフェイスブックでこのクイズに回答すると、「友だちAPI」によって、ユーザーと友だちリストにある全員のデータが取り込まれる。コーガンは回答者の性格をモデル化するプログラムとフェイスブックのデータセットをケンブリッジ・アナリティカに売ったというのだ。
だがこれについては、関係者の主張が錯綜している。カイザーは、「友だちAPI」の機能を使えば膨大なデータを入手することは可能だが、これはフェイスブックがビジネスとして行なっていたことで、「2012年のオバマキャンペーンでも友だちAPIは使われていた」と指摘する。オバマ陣営の中心的なデータサイエンティストは、「自分はオバマ・フォー・アメリカのデータ統合プロジェクトすべてにかかわっていたが、データに関してはルールに従って行動していたので恥じることは何もなかった。ただひとつ、『友だちAPI』だけは不気味に感じていた」と書いている。
ケンブリッジ・アナリティカは、独自の方法でフェイスブックからデータを収集してもいた。「セックス・コンパス」では、ベッドでの好きな体位といった性的嗜好を探る質問によって「性的性格」を診断し、「ミュージカル・セイウチ」では、マンガっぽく描かれた小さなセイウチが「本当の音楽的アイデンティティ」を判定する。こうした人気アプリを使ってユーザーと彼らの「友だち」のすべてのデータを集めるのだが、これはクレジットカード会社から信用情報を合法的に購入するのとまったく同じで、会社案内のパンフレットにも「フェイスブックの3000万人を超えるデータをはじめ、約2億4000万の米国人のデータを保有している」と公式にうたっていた。
フェイスブックが方針を変更して「友だちAPI」によるデータ収集を禁じたのは2015年のことで、だとすればコーガンの行為も、彼からデータを購入したケンブリッジ・アナリティカもまったく問題ないことになる。実際、フェイスブックはケンブリッジ・アナリティカに対して、「サーバーからフェイスブックのデータを削除してバックアップがないことを確認した」とのメールを受け取っただけで満足し、それ以上のことはなにもしなかった。
話をさらに混乱させるのが、ガーディアンにこの情報を提供したクリストファー・ライリーという若者だ(1989年生まれで当時26歳)。カイザーと並ぶもうひとりの「内部告発者」で、緑色に染めた髪に眼鏡の風貌を覚えているひともいるだろう。
医師と精神科医の両親のもとにカナダのヴィクトリアで育ったワイリーは、子ども時代にディスレクシア(難読症)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されたコンピュータの天才で、まさにハッカーの典型のような人物だ。
ワイリーの経歴はカイザーと驚くほど似ていて、学校をドロップアウトしたあとカナダのリベラル政党の選挙キャンペーンにかかわり、2008年のオバマの選挙活動にボランティアとして参加した。その後、ロンドンの大学に進み、2013年(カイザーの1年前)にSCLでデータサイエンティストとして働きはじめる。
そこでの役割についても関係者で意見が食い違っているが、英語版Wikipediaの記述によると、ワイリーはSCL時代にサイコグラフィックスの手法を習得し、ケンブリッジ・アナリティカのサーバーから8700万人のフェイスブックユーザーのデータセットを不正にもちだして、ケンブリッジ・アナリティカのシニアスタッフとともにユーノア・テクノロジーズ(Eunoia Technologies)という会社を設立し、ブレグジットやトランプ陣営に売り込みにかかった。
当然、ケンブリッジ・アナリティカのニックスと法的紛争になり、2018年にユーノアは解散・閉鎖された。そして同年3月、ワイリーはケンブリッジ・アナリティカのスキャンダルの内部告発者として華々しくデビューすることになる(著書に“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica's plot to break the world”(マインドファック ケンブリッジ・アナリティカの世界破壊作戦の内幕)がある。
それに加えてさらに話をややこしくするのは、マイケル・コジンスキーなる元ケンブリッジ大学心理統計学センター講師(現在はスタンフォード大学准教授)が現われて、「ケンブリッジ・アナリティカのサイコグラフィックスは自分がつくった」と主張したことだ。コジンスキーは2008年に博士後期課程の学生としてポーランドからケンブリッジにやってきて、同僚が開発した「マイ・パーソナリティ」というフェイスブックのアプリを使って、何百万というフェイスブックのユーザーに関する正確なモデルを構築した。
2014年にそれを聞きつけたコーガンが商用利用の目的で接触してきたが、コジンスキーは申し出を断った。その後コーガンは、おそらくは不正な手段でコジンスキーのデータセットを入手し、ケンブリッジ・アナリティカに持ち込んだというのだ。
真相がどこにあるかは、疑惑の中心であるアレクサンドル・コーガンがシンガポールに逃れ、映画『007 スペクター』からとった「アレクサンダー・スペクター」という偽名で隠れ住むようになったことで藪の中になった。コーガンは1985年(あるいは86年)に旧ソ連領のモルドヴァに生まれ、ロシアのサンクトペテルブルク大学と関係があるほか、中国政府からも研究資金を得ているとされる。
このように「データゲート事件(ケンブリッジ・アナリティカ スキャンダル)」には多士済々な人物が登場するが、興味深いのは、カイザー、ワイリー、コーガン、コジンスキーなどがみな1980年代生まれで、事件当時は20代か30代前半だったことだ。ブレグジットとトランプ大統領誕生という世界を揺るがした大事件の背後には、「若き天才」たちがいた。
トランプ大統領のtweetは大統領選に向けての戦略的な指示の可能性も
ケンブリッジ・アナリティカの行動マイクロターゲティング戦略は、2016年の大統領選の結果にどれほどの影響を及ぼしたのか。最後に、カイザーによる評価をまとめておこう。
ニックスたちは、保守派の有権者を「コア・トランプ有権者(選挙活動に動員する)」「投票させるターゲット(投票する気があるが行くのを忘れるかもしれない者たち)「無関心なトランプ支持者(予算が余ったときにだけ働きかけかける)」、リベラルな有権者を「コア・クリントン支持者(なにをしてもムダ)」「あいまいなクリントン支持者(投票を思いとどまらせる)」グループに分けた。
さらに、説得可能な有権者の性格タイプが州ごとにちがうことも割り出した。たとえばアイオワ州の保守派は「ストイック」「世話好き」「伝統主義者」「衝動的」で、サウスカロライナ州の保守派は「衝動的」の代わりに「個人主義者」が入る。「ストイック」な有権者へは伝統、価値観、過去、行動、結果といった言葉を織り交ぜたメッセージを送り、「個人主義者」は決断や防御といった言葉を含むメッセージが効果的だった。
選挙後の評価では、こうした心理的働きかけの結果、トランプの好感度を平均で3%上昇させ、「投票させる」キャンペーンでは有権者の不在者投票の申請を2%増加させたという。オンライン広告を見た14万7000人の調査では、11.3%がトランプに好感をもつようになり、トランプに投票する意思がある有権者が8.3%増加した。「トランプが僅差で勝ったことを考えると、これは大きな成功」だとカイザーはいう。
PSYOPのもうひとつの目的は、ヒラリーへの投票を思いとどまらせることだった。「フェイスブックのビデオ広告によってトランプに投票する意思をもつ人が3.9%増加し、ヒラリーに投票する意思をもつ人が4.9%減少した」とされるが、そのときに大きな効果を発揮したのが、ニュース記事とまったく同じに見える「ネイティブ広告」だ。
「非常に神経質」に分類されたひとたちには「怖がらせる」メッセージがもっとも効果的で、「ヒラリーは米国を破壊する」というネイティブ広告は、対照群より20%も高い効果を示した。「中道左派の女性は実はやや保守的」という傾向もあり、「家庭を切り回せないようなら、ホワイトハウスは絶対に切り回せない」というミシェル・オバマの、2007年のオバマvsヒラリーの民主党予備選での発言を文脈から切り離し、夫の浮気に対してヒラリーを揶揄しているように見せかけるメッセージも効果的だった。ネイティブ広告は「費用は高くついたが投資効果は驚異的だった」とカイザーはいう。
もうひとつ重要なのは、「ケンブリッジ・アナリティカ経由だけでも1億ドルがデジタル広告に使われており、そのほとんどがフェイスブックに注ぎ込まれた」とのカイザーの指摘だ。莫大な選挙資金がIT大手に投じられた見返りとして、トランプの選対本部にはフェイスブック、グーグル、ツイッターから社員が派遣され、さまざまなサービスを提供した。これをフェイスブックは「一段上のカスタマーサービス」、グーグルは「アドバイザーの立場」、ツイッターは「無償の労働」と説明した(クリントン陣営はフェイスブックの支援を断った)。――現在、tweetをめぐってトランプとツイッター社は対立しているが、大統領選では「カンバセーショナル広告形式」を使って、トランプのキャンペーンのツイートがヒラリーのツイートの上に表示される仕組みを提供していた。
カイザーは、「社会的弱者」にグルーピングされるのは多くが非常に神経質なひとたちで、恐怖を喚起する広告がきわめて大きな効果を発揮したと述べる。トランプ支持の「プアホワイト」だけでなく、ブレグジット支持者のなかの「落ちこぼれ」層も同じで、「恐怖心に訴えかけるメッセージを送れば、最も説得可能な人たち」だった(それ以外の離脱派の類型は「熱心な活動家」「若い改革者」「不満を抱く保守党支持者」)。
彼ら/彼女たちは「政治家、銀行、企業をはじめとするエスタブリッシュメントに対して猜疑心を抱き、自分の経済状況、公共秩序の悪化、そして将来全般に不安を感じ」ていて、とりわけ移民問題に関心が高い。「「恐れ」は神経質な人たちに限らず、誰に対しても、私たちのもっているどんなツールよりも効果的」なのだ。
白人警官が黒人の容疑者を死亡させた事件をめぐって、現在、アメリカ全土で大きな混乱が起きている。この事態に際してトランプは、州兵だけでなく米軍を派遣する意向を示し、対立をさらに煽っているように見える。
こうしたtweetは衝動的なように思えるが、それはトランプ選対本部のデータサイエンティストたちが、11月の大統領選に向けての「効果な選挙活動」として戦略的に指示しているのかもしれない。「行動マイクロターゲティング」の手法を知れば、これを「陰謀論」として一笑にふすことはできなくなるのではないだろうか。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。
●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)





