ステレオタイプ脅威を受けるのは、「自分が少数派で、なおかつ優位性がない(劣っている)」と感じる場合
ミシガン大学で学生たちと話をしたとき、スティールは黒人の学生から、「大学という小さな社会でもマイノリティであると実感していること」や、「教員や助手や他の学生、そして教授陣までもが自分のことを「学力が乏しい」と思うのではないかという不安」「教室の外での生活が人種、民族、社会階級によって分断されていること」を口々に訴えられた。「その分断を超えた親しい友達はほとんどおらず、黒人のスタイルや好みや関心は、キャンパスで無視されるか、ダサいと思われている気がするといった。黒人などマイノリティの教授陣が少ないことも指摘していた」。
「それらは言い訳だったのかもしれない」とスティールはいうが、黒人学生は、自分が(名門の)ミシガン大学にふさわしくないのではないかと心配していた。
事実、スティールが調べたところ、黒人学生も白人学生も、もっとも親しい友人6人中、異なる人種は平均1人未満だった。黒人学生の場合、6人のうち白人の友人は平均0.6人だった。「人種が統合されている」はずの大学ですら、黒人学生の2人に1人は白人の友だちがいない。
大学と同様に、アメリカの高校も人種によって分断されている。
「人種が統合された」高校のカフェテリアでは、白人生徒が黒人生徒と同じテーブルに座ると、「クールになろうと必死すぎ」とか「わざとらしい」「人種に鈍感」などと思われる。黒人生徒が白人生徒と同じテーブルに座れば、他の黒人生徒から裏切り者だとか、白人になりたがっているとみなされる。アメリカでは高校生の日常生活にまで「人種の歴史」が投影されている。
ステレオタイプ脅威の背景にはこうした「人種の分断」があるが、スティールはこれは「差別」ではなく「アイデンティティ」の問題だとする。以下はあくまでも私の理解だが、「場違い」をキーワードにこれを説明してみたい。
ヒトは徹底的に社会化された動物で、共同体(コミュニティ)に属していないと生きていくことができない。旧石器時代から何百万年もこのような環境で暮らしていれば、自分が正しい共同体に属しているのか、それとも属していないのかの鋭敏な感覚が脳に組み込まれたことは間違いない。わたしたちは無意識のうちに、つねに自分が「場違い」でないかどうかを検証しているのだ。
アイデンティティは「集団への帰属意識」と説明されるが、それは「正しい共同体に所属している(場違いでない)」という感覚(安心感)のことだ。それに対して、自分が正しい共同体に所属していないと、脳=無意識は全力で警報を鳴らす。人類が生きてきた歴史の大半において、場違いな共同体に紛れ込んでしまうことは、トラやライオンのような肉食動物に遭遇するのと同じように、生存への重大な脅威だった。
だが、自分が少数派(マイノリティ)であることがつねに脅威になるわけではない。多数派(マジョリティ)に対して自分に優位性があるのなら、生存への脅威はなくなるはずだ。そのことをよく示すのが、スラム街の子どもを遠く離れた土地に転居させるプログラムに選ばれた、ニューヨークの治安の悪い地区(サウスブロンクス)に住む高校中退の黒人高校生のケースだろう。彼が転校したのは中流階級の白人しかいない西部の高校で、そこでは圧倒的な少数派だったが、2年後にはバスケットボールチームのエースになり、成績もAとBばかりで大学進学を目指していた(ジュディス・リッチ・ハリス『子育ての大誤解』ハヤカワ文庫NF)。こんな"奇跡"が起きたのは、彼がスポーツで「ヒーロー」になれたからだろう。
このように考えると、ステレオタイプ脅威がシンプルに説明できる。はげしく警告のアラームが鳴るのは、自分が少数派で、なおかつ優位性がない(劣っている)と無意識が感じる場合なのだ。
理系の女子学生は大学では少数派で、「女は男より数学の成績が悪い」というステレオタイプの影響を受ける。黒人学生も少数派で、「黒人は白人より知能が低い」というステレオタイプに影響を受ける。それはいわば、「ここは場違いで、このままだと殺されてしまう!」という強烈な不安だ。ステレオタイプ脅威とは「アイデンティティへの脅威」のことで、それは生存の危機に直結するのだ。
このような状況に追い込まれると、脳=無意識は全力で状況に対処しようとする。生き延びるために必死になれば、それによって脳のリソースは大量に消費されてしまうだろう。ステレオタイプ脅威で成績が下がるのは脳のワーキングメモリーの活動が妨げられるためだされるが、テストよりもはるかに重要なこと(生存)が賭けられているのだとすればこれは当然だ。
ステレオタイプ脅威の影響を受けやすいのは「自分に対する期待が高いから」
このやっかいなステレオタイプ脅威に対処するにはどうすればいいのだろうか。最初に思いつくのは「意志のちからで不安を抑えつける」だろうが、これはうまくいかないとスティールはいう。
プリンストン大学医学部の難関科目(有機化学)をクリアするには、科目を履修登録せず一度受講して、二度目に正式な履修手続きをして成績をつけてもらうとか、夏学期にレベルの低い他大学で履修し、その単位をプリンストンに移してもらうなどの裏ワザがある。
白人学生やアジア系学生のほとんどはこのアドバイスに従って合格点をもらうが、黒人学生は拒絶することが多く、医科大学院に進む可能性をみすみす危険にさらしている。この「過剰努力」をスティールは、「ステレオタイプが誤りであることを証明するため、意地になって授業に出席しつづけているかのように見えた」と述べる。
試験中の学生の血圧を測る実験では、「人種的に対等」と告げられたテストでは、黒人学生の血圧は白人学生と同様にテストに集中するとともに下がっていった。だが「知的能力を測定する」と告げられると、白人学生の血圧が同じように下がったのに対して、黒人学生の血圧は劇的に上昇した。
ステレオタイプ脅威に対処することで血圧が上がるなら、それは健康にも影響を与えるかもしれない。アメリカでは黒人の約3分の1(男性34%、女性31%)が高血圧症とされているが(白人は男性25%、女性21%)、「困難な心理社会的ストレス要因に対処するための長期的かつ高度な努力は、(黒人を含む貧困層に高血圧症が多いことの)最も簡潔な説明かもしれない」とスティールはいう。「自分の集団が不利な条件に置かれ、差別され、ネガティブなステレオタイプを抱かれている領域で高い能力を示そうとすると、過酷な代償がもたらされる可能性がある」のだ。――ただしこれについては、奴隷船の劣悪な環境で生き延びるには(生得的に)血中の塩分濃度が高くなければならず、それがアメリカ黒人に高血圧が多い理由だ(アフリカの黒人にはこうした傾向は見られない)という医学的な説明が提示されている。
黒人学生の成績が悪いのは、ネガティブなステレオタイプを内面化したため、モチベーションが下がって自己不信に陥っているからだと説明されることがある。だがスティールは、これも正しくないという。スティグマのプレッシャーは、学力不足の学生よりも、学力の高い学生に大きな影響を与えるのだ。
貧困地区の高校で行なわれた調査で、「学校の成績を気にしている」と答えた黒人の生徒は、ネガティブなステレオタイプ(黒人は学力が低い)を追認するリスクがあるとわかると、学力テストで白人の生徒よりずっと低い点数を取った。ところがこの現象は、成績下位グループの黒人生徒には見られなかった。学校の成績など気にしていない生徒たちは、ステレオタイプ脅威に動揺したりしなかったのだ。
ここからスティールは、ステレオタイプ脅威の影響を受けやすいのは成績上位の黒人生徒たちで、それは自尊心の欠如や自己不信のためではなく、むしろ「自分に対する期待が高いから」だという。
「差別」をはねかえそうと意志力をふりしぼって頑張るマイノリティこそがステレオタイプ脅威から大きな影響を受け、その結果としてじゅうぶんな成果を上げられないばかりか、健康まで害してしまう……。オハイオ州立大学コロンバス校の社会心理学博士課程に入学したとき、スティールは唯一の黒人学生だった。「ステレオタイプ脅威」を意思のちからで乗り越えてきた経験があるからこそ、「努力は寿命を縮める」というスティールの指摘は重い。




