デジタルネイティブ世代の子どもにはICTリテラシーがある。それを学習に正しく有効に使う方法を教えるのは学校の役割だ 写真提供:豊福晋平氏

前回は急速に導入されようとしている「GIGAスクール構想」について考えてみました。今回はデジタルリテラシーの問題です。新学習指導要領は、これまでの学校の授業のあり方に変革を求めています。先生が板書して、それを生徒がノートに書き写すという単純な情報伝達の仕組みがこれまではうまく機能していましたが、ICT(情報通信技術)の発展は、学びをもっとダイナミックに変えてしまいます。ここに来て問われるのが、教える側である大人の心構えと対応です。(ダイヤモンド社教育情報)

量が多過ぎて爆発寸前のカリキュラム

 例えば20年後の2040年がどのような社会になっているか、なかなか想像がつかないと思います。予測困難な時代には、未知の問題に対処するための新技術が続々と誕生することでしょう。

 そうした技術を利活用するためには、人に求められる能力も目まぐるしく変わっていきます。現時点での教育が、未来に生きる子どもたちにどれほど貢献できるのか、その見極めはとても難しい。

 そのため、広い領域の知識を統合的に身に付けることは必然的であり、必要な知識の量は際限なく増えていきます。今の子どもたちには、学校の授業を中心とした限られた学びの時間の中で、たくさんの知識をいかに効率よく習得するかが求められています。ところが、次々と追加される一方のカリキュラムはあまりに量が多過ぎです。

 典型例が、今回の小学校の学習指導要領に加えられた英語、道徳の教科化や、プログラミングの導入です。教える現場では、確保可能な授業時数ではこなしきれないので、休み時間を削って15分単位のモジュール学習を行っているケースもあります。

 効率的な学びを考えた時、今までのようなクラス一律で授業時数を消化したことを学習の証拠とするのではなく、生徒ごとの理解度や学習スタイルに最適化されたカリキュラム設計と1人1人に対応するための応答的環境が必要になります。そうなるとますます、教育のデジタル化を早急に進めざるを得ないのです。

 日本の学校では算数の問題を解く時、計算機の使用は認められませんし、作文課題でもすべて手書きをさせるのが当たり前です。まさに、デジタルの利便性を身にまとわない裸一貫の学習方法です。

 しかし、海外の教育機関では「デジタルリテラシーは個人の能力の一部」という考えの下、学習の過程にデジタル機器を用いることは一般化しつつあります。他にも、紙の辞書からインターネット上にある辞書へ、手書きのノートからタブレットへといった具合に、デジタル端末をこれまでの文具のように使えることが、世界的にはすでに学習の前提となっているのです。