禁止ではなく学校が率先して「善き使い手」を育てる
ICTは鋭利な刃物と同じで、リスクを知らずに誤った使い方をすれば自分にも周囲にも危害が及びます。その一方で、リスクを最小限に止める使い方ができれば大きな力を得ることができます。だからこそ、使わせずに遠ざける選択肢はそもそもありませんし、使う以上は正しいスキルを身に付けつつ、リスクも認識させることが絶対条件です。
そのために、私は「教育の現場で、ICTの利用頻度・時間・用途の拡大と習熟機会を確保すること」を推奨しています。まず、学校の日常をデジタル化することと、家庭にICT環境がない子どもが不利にならないように、操作スキルは学校で底上げすること。それをしなければ、子どもたちの情報リテラシー格差は、今後さらに深刻になるでしょう。
意外に思われるかもしれませんが、学校でのICTの利用頻度・時間・用途の拡大について、最も効果のある使い方はコミュニケーションです。これまでの学校は、生徒個人に学校公式ID、メール、メッセンジャーといったサービスは提供してこなかったので、中高生にもなれば、スマホのLINEを使って友達同士学校についての連絡を取り合うのが、ごく当たり前です。しかし、これはあくまで私的なつながりなので、トラブルになれば簡単に村八分が起こってしまいます。
生徒指導上のトラブルの多くがLINE絡みで起こるので、学校はこうしたオンライン・コミュニケーションの導入を極端に嫌がりますが、私の考えは全く反対です。つまり、学校公式の情報ライフラインとしてサービスを活用し、全員に必要な情報が行き渡る状況を作ることで、公的・私的な手段の使い分けを幼い頃から身に付き、それがトラブルやリスクを回避する知恵となっていくでしょう。
学校の裏サイトでの悪口や誹謗中傷、あるいは、ソーシャルメディアでのいじめや不特定の人との出会いよる事件・事故……といった話は、子どもにまつわるネット社会のリスクとしてニュースでも頻繁に取り上げられていますが、子どもたちは好んでリスクテークしているわけではありません。そのことがないがしろにされがちです。
子どもたちが好んでオンライン・コミュニケーションを使うのは、友達同士のつながりを保ったり、親にも話せないような心配事を共有したりといった心理的安定や充足につながるからです。しかし、つながりっぱなしが負担になったり、生活時間が乱れたりといったジレンマも抱えてしまう。これらを前向きに合理的に解決するためには、子どもたちにデジタル・シティズンシップ(ICTの利用における責任ある行動規範)を持ち合わせる“テクノロジーの善き使い手”になるための教育が今必要です。
学習成果をデジタル化する仕組みづくりも同様です。例えば、学校で発行された公式IDを使って学校内外からクラウドにアクセスし、自分の作品やデータを保管したり、学校課題をオンラインで提出して即座に評価や添削が受けられたりすれば、学習の効率もモチベーションも向上します。学校にとっても、生徒の成果物がデジタルで蓄積されていけば、データ分析的な学習支援もできるようになり、教育ノウハウもたまっていきます。
教育の情報化のこれまでこれからを、上の図にまとめました。禁ずることは、ある意味楽な対応です。しかし、子どもがすでに持っているスキルの使用を「危険だから」という学校や保護者の事情だけで止めても、子どもたちのデジタルリテラシーの涵養には何もメリットはありません。
次回は、早くから教育のデジタル化を進めた先進諸国の学校のデジタル化プロセス、それと比較した日本の学校の状況、そして、これからの時代の先生の仕事の進め方の展望などについてお話ししたいと思います。