大きく変化していく「良い学校」の条件「ジョブ型採用」を推し進める経団連。“就職”が変われば、大学での学び方も変わっていく

短期集中連載「2030年の大学入試」。これまで、「偏差値」の無力化が進み(第3回)、その結果起きる大学の構造変化と機能変化(第4回)、そして、「ボーダーフリー」化が進むこれからの大学入試(第5回)について考えてみた。6回目となる今回は、“良い学校”の条件とは何かについて考えてみたい。(ダイヤモンド社教育情報)

改めて問われる“良い大学”

  これからの“良い大学”の条件とは何だろう。大学選びの観点で捉えてみると、入試で「知識を問う出題」の多い大学はしょせんそのレベルであることは、前回を読んでいただければお分かりいただけるかと思う。「学校推薦型選抜」や「総合型選抜」で面接があっても、志望理由を問われただけならそれもそのレベルの大学、つまり自分を成長させてくれる大学ではないと考えていいだろう。

「自ら考える」ことが学ぶことであり、それが成長の糧になる。そうしたことを中高での「探究」活動を通して身に付けたかどうかを審査する大学は、“横並び”の中から突出していくのではないだろうか。「探究」で学べば、おのずと考える力は付いてくるからだ。

 すでに大学では、「探究」で学んだ学生とそうでない学生の間で“探究格差”が生まれているそうだ。「探究」で学んだ学生はリサーチ能力があるほか、課題設定、仮説検証、「問い」の立て方を理解しているかどうかという点で、グループワークにおける立ち位置が学んでいない学生とは変わるのだという。
 
「偏差値」とは、入学時の受験生の入試に関する“学力”を示す指標だ。これに大学での教育が加わることにより、卒業時の学生の“能力”が示される。たとえ“横並び”で入りやすいとしても、大学での教育により学生の能力を伸ばし、就職に有利な大学が今後人気を高めていく。最近は、「(自分が)成長できる」ことを就職先選びにする学生もいる。ファーストキャリアで成長できることが、セカンドキャリアで有利な会社に就職できる力になるという観点も加えられるかもしれない。
 
「偏差値」が機能していた時代の「“良い就職”←“良い大学”←“良い高校”」という概念は崩れていくことになる。そもそも“良い大学”とは、安定と高収入の好待遇である大企業に多く就職できることが前提になっていた。しかし、4月の新卒一斉入社が徐々に崩れていき、適宜転職や起業をすることが珍しくない現在では、“良い大学”の意味合いは変わらざるを得ない。“良い就職”は“良い大学”に支えられていてその“良い大学”は“良い高校”に支えられていたのだから、“良い高校”の意味も変わるだろう。

 私立大に比して授業料が低廉なことから、国公立大は地方においては第一志望先として想定されることが多い。とはいえ、82ある国立大がいまのまま生き延びていけるとは思えない。実際、アンブレラ方式による法人統合など、大学の集約化が徐々に進んでいる。しかも国立大は、定員を満たす必要があるから、2次募集、3次募集をしてまでも定員を埋めなくてはならない。今後、少子化が顕著な地方で、国立大をいまの規模で維持できるか。そこが大きな問題になってくるだろう。

 単独で持ちこたえられる大学は、国立大であってもさほど多くはない。今後、エリアごとでのブロック化が進み、教育・研究内容のリストラクチャリングにより、公立や私立の大学・学部を吸収・統合したり、あるいは逆に一部の組織・機能を外部化したりする動きが加速するだろう。