約8カ月のバックパッカー旅行後、2002年からラオスに住み、旅行会社を経てコーディネーターになった森さん。その森さんがプロデューサーとして進めてきた、日本とラオスの合作映画がクランクアップを迎えた。森さんがこの映画にかけた思いと、ようやく黎明期を迎えたラオス映画産業についての考察です。

 日本ラオス外交関係樹立60周年事業として2014年5月から始動した両国初の合作映画「サーイ・ナームライ」が先日11月29日にクランクアップを迎えた。今回、私はプロデューサーを務めている。

 この企画は、映画産業のないラオスに映画を、日ラオス60周年の友好の証として未来へつなげる作品を、という想いから始動した。

 1970年代に日本が手がけたラオス初の水力発電ダム建設計画「ナムグムダムプロジェクト」という史実を題材としている。タイトルの「サーイ・ナームライ」はラオス語で「川の流れ」という意味だ。

概要:https://readyfor.jp/projects/japan-laos-movie

映画産業のないラオスだからこそ、映画を

 そもそも、「ラオス映画」という言葉を耳にしたことのある人は少ないだろう。インドシナ戦争や内戦のため、ラオスには映画産業が育たなかった。それには内陸国という立地、ラオスと類似文化を持つタイとの関係性がある。

 ラオスとタイ語の文法は同じで単語が方言のように異なる程度。テレビばかり見ている子どもの場合、タイ語のほうを先に覚えてしまったという話もきくほどだ。タイ語がわかるラオス国民はタイのテレビ番組ばかりを見ている。そのためラオスメディアにはスポンサーがつきにくい。映画となると予算規模がタイとは一桁以上異なる。

 映画館もラオス全国に5館しかない。集客場所が少なければスポンサーにとっての魅力は減退する。産業がなかったところに作品を作ると始めたものの、人材、機材、資金、すべてが不足していた。

 撮影はすべてラオスで行なったが、撮影・照明機材とアシスタントスタッフをタイ(バンコク)から調達した。タイはハリウッドから仕事を請けているので機材もスタッフもしっかりしている。

 ラオスでは一眼デジ機材しかなく、これではウェブ動画ならよいがシネコンで上映するには厳しい。録音機材は日本人技師が日本より持参。最小装備で臨んだのだが総重量は録音機材だけで150キロ。担当官のご機嫌を損ねてしまったのか、機材が空港に一泊するというハプニングもあった。

ロケ地の村までの道路がなく、毎日機材を抱えて船に乗り川を越えた【撮影/『テイスト・オブ・ラオス』】
たわわに実る稲穂が美しい田園で撮影(©サーイ・ナームライ製作事務局)

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想定外の出来事の連続だったが……

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