40歳を目前にして会社を辞め、一生懸命生きることをやめた韓国人著者のエッセイが、日韓で累計40万部のベストセラーとなっている。『あやうく一生懸命生きるところだった』という本だ。2020年の「日本タイトルだけ大賞」で大賞を受賞したインパクトあるタイトルに加え、その内容にも「心が軽くなった」「読んで救われた」「人生のモヤモヤが晴れた」と共感・絶賛の声が相次ぎ、最近では「メンタル本大賞」にもノミネートされている。今年1月には、待望の続編『今日も言い訳しながら生きてます』も発売となった本書から、今回は、著者の大学受験体験について書かれた項目の一部を紹介していく。こちらは2020年1月20日付け記事を再構成したものです)

韓国の受験生を七浪させる「ホンデ病」

 青春時代、不治の病をわずらっていた。その名も「ホンデ病」(※ホンデ=弘益美術大学、韓国一の難関美大)。美大を目指す受験生たちの間に蔓延する流行りの病だ。

 僕が受験生だった頃、この病にかかって七浪もしているという浪人生の噂が予備校街を駆け巡っていた。ホンデじゃなきゃ美大にあらず――。こうして7年間も浪人生活を送らせる、恐ろしい不治の病だ。ウソかマコトか定かではなかったが、それほどまでに恐ろしい病らしいと噂になっていた。

 そして、いつしか僕もその恐ろしい病に感染してしまっていた。

 高3のとき、ホンデを受けて落ちた。ほかの大学には合格していたが、当然蹴った。滑り止めに行くよりは、一浪してホンデに行くほうが、当然価値があると考えていたからだ。

 しかし翌年、再び落ちた。

 そんなバカな、貴重な1年を費やしたのに。ここであきらめては、この1年がムダになる。合格できなかったのは努力が足りなかったからだ。もう1回、もう1回だけ挑戦しよう……。

 そして、二浪した。今振り返ってみれば、ここでやめておくべきだった。

 次こそは必ず合格しなければならない……。誰よりも頑張って、誰よりも合格を願った。「神様、ホンデに受からせてください」と毎日お祈りもした。

 それなのに、オーマイガッ! またまた落ちてしまった。三度目の不合格だった。

 合格発表のあった夜、ホンデ近くの橋の上から、冷たい漢江(ハンガン)の川を見下ろしていた。僕の人生、終わったなと思った。橋の上から人生を終わらせようと考えていた。三度も挑戦して落ちるなんて、どういうわけだ?

 自分より下手くそなやつらが合格したのに、なんで落ちたんだろう?

 緊張しすぎたせいだろうか?

 確かにホンデの受験会場に足を踏み入れて、ただの一度も実力を発揮できたためしがなかった。それどころか、いつも惨敗で会場を後にした。誰かが、実戦で力を発揮できてこそ本当の実力だと言っていたがまさにその通りだな。

 とにかくホンデに合格はできなかった。それはすなわち実力不足、努力不足を意味した。言い訳なんか必要ない。自分は負け組だ。どの面下げて親に会えばいいのか。そう考えると、このまま潔く死んだほうがいいと思った。

 そうだ、死のう……!

 そう考えたが、恐ろしくてどうしても飛び降りることができなかった。死ぬ勇気すらない卑怯な自分に、ますます惨めな気持ちになり、泣きながら橋を渡り終えた。冬の風が冷たかった。どうやらこのへんが年貢の納め時のようだった。