田中角栄氏田中角栄氏 Photo:JIJI

田中角栄は、国会では雄弁な政治家として知られる一方、私生活では相手の話にじっくり耳を傾ける“聞き上手”だったという。その素顔を知るのが、花街・神楽坂で彼と交流した芸者たちだ。角栄の愛人の甥・山科薫と親交を持つ筆者が、その証言をもとに、相手を引き込む対人術の原点に迫る。※本稿は、本橋信宏『花街アンダーグラウンド』(駒草出版)の一部を抜粋・編集したものです。

政界を夢見る若き田中角栄と
芸者・円弥が出会うまで

 山科薫、本名山梨貢。1957年7月14日生まれ。俳優、声優、官能小説家といったさまざまな顔を持つ。

 山科の父は都庁勤めの公務員で、和子という妹がいた。親が事業に失敗し、食うことさえままならなくなり、妹は面倒を見てくれる家を転々としてやっと辻家のやっかいになった。

 辻家は神楽坂で芸者置屋、金満津を経営していた。本来なら、親が借金する際に子どもがそこで住み込みとして何年間か働く年季奉公というシステムがあるが、骨と皮ばかりの和子を見て哀れに思ったのか、辻家を仕切る辻むらという女将は和子を養女にした。

 辻和子は終戦直後から、円弥の名で14歳からお座敷に上がり、芸者の道を歩み出す。

 そのころ、神楽坂の隣、飯田橋の土建会社に若きころの田中角栄が入社した。政界進出を夢見る青年であり、天下国家を論じるのが好きな若者だった。

 土建会社の社長には娘がいた。田中青年を気に入った社長は、病弱の娘と結婚することを熱望した。独立して田中土建を創業した田中青年は、社長の娘と結婚する。