この10年間の競い合い方

――合格者数調査が各社相乗りの共通アンケートになったのはいつのことだったのですか。

中根 2012年から13年の頃です。週刊朝日が中国地方の学校から先のデータを1行ずれで掲載してしまい、大問題となった。当時の女性編集長が、こんな怖いことは嫌だと言いだして、大学通信に泣きついてきました。安田さんが「どうします」と聞いてきたので、私はお互いに切磋琢磨して創り上げてきたものではないのか、と反対しました。結局、諸般の事情により、合同で調査することになりました。

――同じデータを使うようになると、判明率も一緒になりますね。

中根 それからは特集記事の競い合いになりました。同じデータであっても、切り口が大切。私自身も2号に1回は自分で記事を書くようになりました。2月から3月いっぱいは休みも取れず、誰もいない暗い社屋でぽつねんと記事を書いていました。

後藤 本質的な競争になったんですね。この頃から、大学側の対応にも変化が見られて、マスコミを集めて説明会をやるようになりました。18歳人口がいったん下げ止まった時期でしたね。

中根 私のところにも関西の大学から相談がありました。地元のメディアと東京の新聞や雑誌とでは質問の質が全然違うと。東京の方は文部科学省もカバーしているので俯瞰した視点で書きますから。

後藤 東京でもやった方がいいということで、関西の各大学が東京事務所をつくる動きが広がりました。いまでは現地からオンラインで会見をしていますが、質問するのは東京の記者ばかりというのはありますね。

――次回は2022年度の大学入試を振り返りたいと思います。

(続く)