大学入試の先にある「生きる力」

河添 親から植え付けられた、「東大を最高学府とする偏差値の高い大学に行くのが偉い」という縛りから抜け出して、自分のやりたいことを考えてほしい。大学生なのに、就活も親の言う通りです。何が生きがいなのか尋ねると「親の幸せを考えること」だと。これでは日本は世界に立ちゆかなくなります。

――東大の募集定員は3000人ほどであまり変わっていないのに、子どもの数は大きく減っていますから、入試は楽になっている。団塊ジュニアの頃に比べれば18歳人口は半分です。それは中高でも同じで、自分たちの届かなかった学校に子どもが受かってしまい、親が舞い上がってしまう。

河添 親、特に母親ですね。みな母親の価値観に従って動いている(笑)。逆に受験に失敗すると人生の終わりかのように嘆き悲しむ。

――僕はそのことをしつこく指摘しています。息子が傷つかないように常に先回りをする。負ける勝負は避ける。負けない勝負にしか挑ませない。その様子に、中学受験関係者が「草食系男子は中学受験の母親がつくった」と話していました。これも自分の頃の中学受験のしんどさが先に立っている。中学受験者数は増えたとしても、同学年の人口は半分ですよ。その時代錯誤感はなんともまずいです。自分の経験をアンラーニングしないとダメです。

河添 その通りですね。世界的に見ても珍しいと思うのが、子どもが失敗を恐れてチャレンジしない、夢を持たない。夢を持てというのは、ドリームハラスメントだと聞きました。夢は破れ、失敗こそ最高の学びなのに、失敗を恐れてしまう。それは、母親が自分の子どもにはこうなってほしいという理想を押し付けてしまうからではないでしょうか。

――それも「大きなお世話」なのです。やり直しのできる世界になっているのに、何で単線で行くのか。そこが分からない。

河添 どうしてそうするのか。不安だからです。学校教育がそうさせている側面もあると思います。単線に乗ることが“いい生徒”だと言って勉強させる。でも単線から外れることは悪いことではない。どこの大学でも病気療養ややむを得ない理由により休学が認められます。慶應義塾大学では、以前は休学するために授業料の半分ぐらいが必要でしたが、今は、入学2年目以降は在籍料と諸費用だけで、多分6万~7万円ぐらいで済むようにしました。やむを得ない理由は拡大解釈できます。

 そこでSFCでは、積極的に休学してやりたいことをやることを勧めました。その結果、SFCでは休学者が増えました。在籍者数で見ると、休学と留年の区別がつかないので、原級留め置きの学生数が多くなりましたが、私はそのことはSFCの誇りだと思っています。休学中に海外の大学を卒業した学生もいました。

 学生にはとにかく自分のやりたいことをやってほしい。ところが今の大学生は、良い授業で良い成績を取ることを重要視する。そして、良い授業とは予備校のような授業だというのです。私がちょっと計算を間違えると、「先生、ちゃんと準備してきてください」と怒られる(笑)。

 大学の数学の授業にもいろいろな参考図書がありますが、ある学生のものを見せてもらったら「チャート式」と書いてある。帯には、カリスマ予備校教師が執筆、これさえあれば、もう授業が分からなくても大丈夫といったようなことが書いてある(笑)

 知識や計算方法を身に付けるだけならば、確かにその通りで、大学に行かなくてもいい。実際、私たちの学生時代は多くの学生が麻雀ばかりしていました。でも、そこにはコミュニケーションがありました。知識以外のものを教授する場が大学でなくてはならない。

――予備校は受験に特化しているからそれでいいのですが(笑)。コロナ禍が明け、日本の国力が低下していく中で、みんな不安になっている今こそ、立ち止まって考えるべきだと思います。

河添 最初の回にもお話しましたが、これからは「学ぶ」ことの意味が問われるようになります。多くの人は学ぶことイコール知識の集約だと思っている。それはデータベースを見れば済むことで、とても狭い学びです。本当の学びは、一人で生き抜く力を身に付けること、そして生き抜くことです。この「学び」の違いを学校教育できちんと教えなければいけないのだけれども、それができていない。

――生涯学習が日本でなかなか浸透しないのも、大学入試が頂点と考えるのも、そこが分かっていないからです。次回は、現場で「探究」を実践した先生方にお話しいただきましょう。

(続く)

●第1回はこちらより
●第2回はこちらより