「おとな」と語り合うことの意味
――皆さんが「探究」的な授業やDSDAといった「探究活動」を実践していた3年間は、新型コロナ禍の時期と重なります。その影響はどのように出ましたか。良くも悪くもオンライン授業の方が、いろいろできてやりやすかった印象もありますが。
唐澤 不登校になっている生徒もオンライン授業なら入って来られます。ただ、アイコンタクトなど体感的なコミュニケーションは難しく、残念ながらオンライン授業が万能とはいえません。
飯泉 登校できないことで、コロナ禍以前の当たり前が、当たり前ではなくなったことは大きかったと思います。完全休校の時のオンライン授業では、生徒たちは楽しくなさそうでした。徐々に対面授業に戻り、お互いの顔を見せ合えるようになったことの喜びや、皆で何かを一緒にできるようになったことへの思いを強く感じました。
唐澤 対話が苦手で周りを気にして話さない生徒もいましたが、オンラインのペアワークではその生徒が話さなくても、教員が無視せずグループの中に入り寄り添うことで、他の生徒と同等に扱っていることが他の生徒にも伝わったと思います。
――この時期の体験も、「探究活動」で協働することのモチベーションにつながったのでしょうね。実際の「探究活動」はどのように実施されたのでしょうか。
唐澤 ある授業では、社会で目立った成果を上げている大人に会わせようとしました。最初は生徒も喜んでいるように見えましたが、成功している人ばかりを呼んでくるのでは毎回わくわくすることを強要することにもなりかねず、まるで「わくわくハラスメント」ではないかと思うようになりました。
――有名人とか偉い人ではなく「普通の良い大人」を巻き込もうと考え直したわけですね。学校の向かい側に本社があるNECとのコラボも行っていましたね。
難波 「社会で働いている普通の人たちが私たちの意見を聞いてくれる」、そういう機会・環境を用意しました。生徒たちは特別な人の話を聞きたいわけではなく、一般の社会人とのコミュニケーションを欲しているのだと気付きました。
DSDAの授業では、NECの現場の方々が先端技術や未実用化の技術の話もしてくれました(*3)。長い時間、彼らと話ができたことと、「未来をどう変えていこうか、そしてそれが自分たちにもできるかもしれない」という感覚を生徒が持つことができたのが大きかったと思います。
――そうした経験は、安心して自分たちの意見を言ってもいいということにつながったわけですね。
難波 学年が上がるに従って、手を挙げて質問したり意見を言ったりする子どもは減っていくものです。低学年のうちは無邪気に「わいわい」と言いたいことを言い合う生徒が、大人に近づいていくにつれ、「自分の意見が周囲に受け入れらなかったらどうしよう」と不安を抱き、教員やクラスメートとの関係の中で、心理的安全性(*4)が失われていくことがあります。
*3「NEC未来創造会議・共創レポート」参照
*4 組織や集団において自分の意見や気持ちを安心して表現できる状態。共通の目標を達成するためにメンバーが活発に意見を出し合える環境にあること