伝統女子校での試行錯誤

――河添校長の下、難波さんが先端学習部部長としてDSDAをリードしたと思いますが、この間、どのような変化が見られましたか。

飯泉 「探究」的な学びの機会を取り入れれば、自分のやりたいことがかなう進学ができるようになるのではと思いました。もともとアットホームな学校でしたので、DSDAが始まっても、多くの高校のようにコンクールでの入賞といった目標も立てませんでしたし、厳しいスケジュール管理もしませんでした。そのことが、かえって生徒が自律的に取り組むようになってきた理由だと考えています。

 しかし、学校側の期待は、入試難易度の高い大学に進む生徒を増やしたいという点にあったのかもしれません。

唐澤博
唐澤 博(からさわ・ひろし)
東京女子学園中学校・高等学校(*1)英語科教員。長野県伊那出身。浦和実業学園中学校高等学校に30年近く勤務後、現職。一般社団法人つくるとつなぐのまなび理事。日本アクティブ・ラーニング学会理事、一般社団法人国際エデュテイメント協会理事、日教販ICT教育アドバイザーなども務める。共著に『英語デジタル教材作成・活用ガイド PowerPointとKeynoteを使って』(大修館書店)、『ICT×英語 GIGAスクールに対応した1人1台端末の授業づくり』(明治図書)。 Photo by Kuniko Hirano

唐澤 この学校に来てから、「受験」というワードを使わなくなりました。詰め込み教育を否定して、教科書も使わず授業をしていましたら、生徒が校長室に「今までとやり方が違う」と文句を言いに来たこともあったそうです。でも、「探究」的な学びに対する生徒の理解が進むにつれ、そういうクレームも出なくなり、DSDAに楽しそうに取り組むようになりました。

――教科書を使わなくても教科書からは外れない、時代に合ったやり方を考え出すベテランの技がありますね。「探究」的な授業ではどのような成果がありましたか。

唐澤 私がこちらの学校に来たばかりの頃は、おとなしく聞き分けのいい生徒たちという印象でした。DSDAを3年間やり続けた結果、授業や校内外での発表で手が挙がるようになり、物静かで発言に消極的な生徒も積極的に発言するように変わりました。

――先生方が、毎日楽しそうに授業をやっていた姿が浮かびます(笑)。

唐澤 生徒は自分自身やクラスメートのことをよく見ています。DSDAの授業では学年を混ぜていますが、その中でお互いに補完し合えるような仲間を集めて協働するという「戦略」を取るケースも出てくるようになりました。特にグループを作るような指示は出しませんでしたが、自然とそうなりましたね。

 中学受験では偏差値も付かないような学校でしたから、生徒は自分たちの弱点もよく分かっています。詰め込み型の勉強をさせなくなってから、自分だけでなく仲間をメタ的に認識して、それぞれの長所に気付く能力が上がったと思います。

――世の中は協働して助け合うことで成り立っています。その「協働」の意味を、実は教員がよく分かっていないようにも思えます。生徒たちはこうしたグループワークの経験から、自ずと「協同」の意味に気付くわけですね。

難波 たしかに、これまでは教員側が「本校の生徒たちには無理」と決め付けていました。ところが、成長する生徒たちの姿を見て、教員の皆さんにも意識の変化が見られ、楽しんでDSDAに携わる人が徐々に出てきました。