もちろんショックを受ける人が多いのですが、なかには何事もなかったかのように振る舞ったり、落ち込むこともなく「癌なんかに負けるか」と強い意思を見せたりする。癌を宣告されたのに、いまから新しいビジネスを立ち上げると口にする人もいます。

 非常事態に直面し、迫り来る恐怖や不安に向き合うのを避けるための反動、これを精神医学の用語では「葬式躁病」と言います。

 身内や親しい人が亡くなったとき、お葬式のときにテンションが異様に高くなってしまっている人を見かけます。大きなショックを受け入れたくないため、高揚することで恐怖や不安や悲しみに直面することを避けるという、人間の防衛反応の一つです。

 こうした高揚感は防衛反応だということを認識しておかないで、本当に元気だと思ってしまうと、あとでしっぺ返しが来ます。

 私は、昨年11月に父親を亡くしました。そのときは「なんだ、ぜんぜん悲しくないや、平気平気、すぐ仕事しよう」と思っていました。でも「いや待てよ、これが葬式躁病というやつかもしれない。人はそんなに変わるものではない。まだ要注意だ」。そう思い直し、すぐに動き出すことはしませんでした。自分で自分の状態がわかったことが救いでした。

 震災前の日本経済は、デフレ不況に喘いでいました。回復の糸口さえ探しあぐねていたはずです。それなのに「いまこそ奇跡の復興だ」「乗り越えられる」といった復興ナショナリズムは、一種の葬式躁病的な反応を示している可能性があると思います。

 それくらいの気構えで復興に臨むのはいいことですが、まったくの幻想を夢見て、そこから出てくるカラ元気を信用して動き出すのは避けるべきです。

現実を見ることからしか始まらない

 少子高齢化の日本がデフレ不況を脱し、高度成長を成し遂げて中国を抜くなどということは、現実的にはあり得ない話でしょう。しかし、リーダーたる日本の政治家は、それはあり得ないから違う方向を目指そうとは言いません。

 逆に実現可能性の低い経済成長戦略を打ち出すことで、事実と向き合うことを避けてきたのです。助かる見込みのない患者に、医者が「大丈夫、助かりますよ」と言うように、国民を安心させて現実から目をそむけさせるよう仕向けてきた。この積み重ねです。

 誰がどう考えても、震災によって経済が悪化するのは明白です。この事態のなかで「経済はまだ大丈夫。いまこそチャンス」などという発想は、かえって危険です。