1000年に一度だから仕方がない――。
それは園児が死んだ理由になるのか
今回は、昨年3月の震災以降よく聞かれる「1000年に1度の災害だから、被害が大きくなったことは仕方がない」という見方に、一石を投じる事例を紹介したい。
震災当日、宮城県石巻市の中心部にある私立日和(ひより)幼稚園は、地震発生直後に、園児を自宅に帰らせようと2台の送迎バスに分乗させ、発車させた。1台は、津波が来る前に園に引き返し、難を逃れた。
だが、海岸(石巻湾)から数百メートルの沿岸部に向かった1台が津波に襲われる。車内にいた園児5人全てが死亡し、同乗していた1人の職員が行方不明となった。運転手は、自力で避難した。
園児5人のうち4人の遺族は、園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長を相手に、計約2億6700万円の損害賠償を求める訴訟を昨年8月に始めた。この裁判は、被災地の東北3県では初めてのものであり、その行方が注目を浴びている。
園側は、裁判において「これまで大規模な地震があっても、市街地まで到達するような大津波が発生したことはなかった」として「予見することは不可能だった」と主張。
遺族側は「地震発生後、危険がないことを確認できるまでは海に近づかず、高台に避難することは常識」「園児らの命は津波によって失われるはずのない命だった」などと主張している。
双方の言い分や思いなどを交え、事故の実態や今後について、筆者の考えを述べたい。
「あの子は助かるはずだった」
どうしても割り切れない親の思い
「あの日の朝、娘が幼稚園へ行った。だが、いまだ帰ってこない。その答えを知りたい。死に至った経緯を教えてほしい。そうでないと、娘の死は無駄になる。今後の防災に役立たない」
西城靖之さんは、幼稚園を相手に訴訟を起こした理由を語る。昨年の震災で、次女の春音さん(当時6歳)を亡くした。