ダイヤモンド社刊
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「流行や修辞、あるいはマスコミ用語として、先進国で若さが強調されることはありうる。しかし現実には、あらゆる先進国が、その関心と行動の双方において、中高年中心、年金中心となっていかざるをえない」(『見えざる革命』)

 今から30年前の1976年、ドラッカーは、高齢化社会と年金社会の到来を“見えざる革命”と名づけ、「人口構造の変化は、歴史学者が最大の関心を寄せる革命、ブルジョア革命や共産主義革命、さらには産業革命よりも重大な意味を持つ」と言った。

 続けて、こう加えた。「いまや経済の中心的な課題は、高年者を扶養するうえで必要な社会全体としての生産性の向上である。高年者人口の比率がいちだんと増大していくにつれ、社会全体としての生産性の向上は、情け容赦なく必要の度を増していく」。

 事実、日本でも、高年者の扶養と医療が、社会にとって最重要の問題となり、社会全体としての生産性の向上が、経済の最大の課題、政治の最大の論点となった。

 ドラッカーの処方は三つである。

 第一が、生産人口の増加を図ることである。長く働いてもらうための施策こそ最も必要である。長く働く者に害を与えるのではなく、褒美を与えなければならない。

 そのために必要なことは、意識の改革と若干の仕組みだけである。幸いにも彼らは働きたがっており、働く力もある。エネルギーはたまっている。昔の人よりも体力はあるし、昔のように強靭な体力が必要というわけでもない。

 第二が、定年の延長ないしは撤廃に伴う措置として、勇退の基準を設定することである。いわば本人が納得できる基準である。ドラッカーは、これがなかなかの難物なのだという。もちろん、重要なラインのポストからはご遠慮願い、アドバイザー役をお願いすることも必要である。

 第三が、公的部門の仕事を生産的なものにすることである。もちろん、生産性も飛躍的に上げてもらわねばならない。貢献の度合いに不釣り合いな超高額の退職金は、生産性の観点からノーである。

「急増する高年者人口を扶養するには、生産力の増大が必要である。この事実から逃れることはできない。唯一の選択肢は、事実を認識するかしないかだけである」(『見えざる革命』)

週刊ダイヤモンド