与党・自民党がコメの生産調整制度の改革を進めている。国による生産数量目標の配分の廃止などをもって、減反制度の廃止ともてはやす報道も多い。だが、実際はそういうことにはならなそうだ。

11月6日に開かれた自民党農林水産戦略調査会、農林部会、農業基本政策検討合同会議。コメの生産調整の見直しは進むか
Photo:JIJI

「減反から国は手を引く、これからは自分たちで生産調整をやってくれということか。愛情のかけらもない農業改革だ」「この時期にTPP(環太平洋経済連携協定)と一緒に減反廃止の話が出てきてたまげた。今後の所得について農家が心配している」……。会議室をびっしり埋めた議員から、不安や不満の声が相次いで上がった。

 11月6日、コメの生産調整制度に対する中間とりまとめ案が検討された自民党農林水産戦略調査会・農林部会等の合同会議だ。

 一種の“ガス抜き”のような怒号が飛び交う会を経て、「個別に農家の収入がどう変わるかの金額が出ていないのでまだ不安はあるが、大きな方向については全員の理解は進んだ。次年度の生産調整数値を出す11月末までには、政府与党で合意した案を固める」と齋藤健・自民党農林部会長は言う。

 減反とは、主食用のコメの供給を国や自治体、農業生産者等の調整で抑制して、米価を高値維持し、生産者の経営を安定させる政策を指す。この40年間綿々と続いてきた、いわば生産カルテルだ。

 この日本農政の根幹にくさびを打つかのような、10月末の与党方針発表と林芳正・農林水産大臣の発言があり、「減反廃止」として報道が過熱した。しかし、与党の政策と報道には乖離があって、現実には減反廃止にはつながらないだろう。その理由を知るには、過去の経緯からひもとく必要がある。

“減反破り”へのペナルティは
すでに存在しない

 減反が始まったのは1970年。戦後のコメ不足を背景に、生産されるコメを国が買い上げ、供給量と価格を管理した食糧管理制度の時代のことだ。60年代後半からコメは過剰生産となり、国の買い入れ負担は重くなっていた。買い入れ量を減らし財政負担を削減することを目的に、減反は生まれた。