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莫邦富の中国ビジネスおどろき新発見

中国はハードからソフトを学ぶ時代に
そのために必要な日中の「草の根」交流

莫 邦富 [作家・ジャーナリスト]
【第233回】 2014年11月20日
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 講演のため上海に行ってきた。最近、中国での私の講演テーマは「中日経済交流はハードからソフトへ」といったものになっている。

隠されたスローガンは「日本に学べ」

 1978年に始まった中国の改革・開放路線は4つの近代化の実現というスローガンを前面に掲げていた。しかし、隠されたもう1つのスローガンがあった。それは「日本に学べ」だった。同じアジアの国で、置かれていた環境も似通っていたのに、日本は中国の遙か先を走る国になっていた。78年、日本を訪問し、新幹線に乗った鄧小平氏は後ろを推されているという感想を述べたことから象徴されているように、中国の4つの近代化の実現のひとつの比較対象は日本だった。

 実は同じこの1978年に、私も後ろを推されるような体験をした。

 その年の冬、私は上海外国語大学(当時は上海外国語学院)の若手教師になって間もないころだった。当時、武漢製鉄所が日本の大型冷延設備を導入した。冷延工場の設備据付と配管工事などの建設現場に、日本語の通訳が大量に必要ということで、私が学生を連れて現地実習に行った。いうまでもなく、そこで中国の鉄鋼産業の立ち遅れぶりを肌で体感できた。

 しかし、この1978年は、改革・開放路線が始まった非常に重要な年として人々に記憶されているだけでなく、当時においては中国の粗鋼生産高がはじめて3000万トンという大台を突破した年でもある。その年に、中国の粗鋼生産高が前年度と比べ804万トン増の3178万トンになり、中国鉄鋼業界は史上最高記録を作った。同年12月10日、人民大会堂でわざわざそのために、3000万トン達成の祝賀大会まで開かれた。

 北京の祝賀大会の様子を伝える武漢製鉄所の現場会議で、ある幹部の嘆きを聞いた。「その倍ぐらいの鉄鋼を作ることができたら、中国はもっと大国らしくなるだろう」と。

 日本は1973年に、粗鋼生産高がすでに1億1932万トンになっていた。日中間の差が絶望的に横たわっている。現場のこの幹部の嘆きにもその絶望的な無力感が滲み出ていた。私も同じだった。

 その意味では、1978年に始まった中国の改革・開放時代は言いかえれば、鉄鋼、自動車、家電、船舶など製造業の多くの分野で日本を含む多くの先進国に追いつこう、追い越そうと努力してきた時代だ。だから、表向きに表現していなかったが、「日本に学べ」というスローガンが製造業の多くの分野で働く中国人を鼓舞していた。

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莫邦富(モー・バンフ) [作家・ジャーナリスト]

1953年、上海市生まれ。85年に来日。『蛇頭』、『「中国全省を読む」事典』、翻訳書『ノーと言える中国』がベストセラーに。そのほかにも『日中はなぜわかり合えないのか』、『これは私が愛した日本なのか』、『新華僑』、『鯛と羊』など著書多数。


莫邦富の中国ビジネスおどろき新発見

地方都市の勃興、ものづくりの精度向上、環境や社会貢献への関心の高まり…中国は今大きく変わりつつある。先入観を引きずったままだと、日本企業はどんどん中国市場から脱落しかねない。色眼鏡を外し、中国ビジネスの変化に改めて目を凝らす必要がある。道案内人は日中を行き来する中国人作家・ジャーナリストの莫邦富氏。日本ではあまり報道されない「今は小さくとも大きな潮流となりうる」新発見を毎週お届けしよう。

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