「お産のときに光に包まれて
手が透けて見えた」

司会 池川先生はどうでしたか?

池川 わたしは初女先生とお会いするのは初めてでしたが、先ほど神父様がおっしゃったように包まれるような、とても居心地がよかったなというのを覚えています。おにぎりはいただいていない(笑)。聞いているだけで、すごくおいしそうですね。

初女 今度、おにぎり会をしましょう。

池川 ぜひお願いします。今回の本は“透明”がテーマですが、わたしの患者さんで、おなかの赤ちゃんのことを100%信じて出産された方がいて、その方は「お産のときに光に包まれて手が透けて見えた」とおっしゃったんです。

 実はその方が今日の講演会にも見えています。お子さんは1歳半ぐらいから、こういった講演会にきているのですが、3時間あるような会でもジッと聞いているんです。すごいんです。

初女 今はみんな病院、病院って言うけれど、わたしたちは自宅でみんなに見守られながらお産するというのがふつうでした。いまの状況では難しいように思いますけれど、いかがでしょうね。

池川 いちばんいいのは、肉体の医療よりも魂のお産なんですよ。
 ふつうは魂が大事だと考えなくて、体が大事というふうに見るんです。
 でも、魂を見るお産というのは、赤ちゃんとお母さんがほんとうに命と向き合ったお産。もちろん準備もせずに一人でお産するのは危険ですので、不安ならそこに助産師さんが入って……。やっぱり子どもが生まれたあとに魂というものを見て育ててほしいですから、魂を見るお産というのは大事だと思うんです。

光、燃える命、天……
それぞれが結ばれる透明

司会 今回の著書『限りなく透明に凛として生きる』を各先生なりに、ひと言で表現していただけますか?

池川 ひと言でいえば「光」。一人ひとりが輝くのが透明に近いのかなという気がしています。

思風 わたしは人間として透明というのは、何かに熱中して打ち込んで命が燃えている、そういう状態でないかと思います。
 その瞬間は自分ながらに自分の存在がわからない、非常に美しい、素晴らしい、命がいちばん輝いているときなのではないかなと。

神父 透明になると、向こうが透けて見えるわけですよね。その向こうは“天”、呼ぶならそうだろうと思うのですが、向こうに神様が見えるような透明な感じをこれから経験するんだというイメージが、いま先生方の話を聞きながらはっきりしてきました。

 もしかすると、キリストの復活ってそういうことなんじゃないかって。
天の透明さをもってこの世に現れて、こうなるんだよということを教えてくれた。

 初女先生の透明さの中にもそうした復活のイエスのようなものがあって、向こうに我々が行くべき天を見せてくれる。限りなく透明に凜として生きるということを……。