(3)ジャッジメントを手放して
上手に注意をする

 しかし、教育の場合は違います。

 相手がその通りにしない場合、「ああ、役割期待としてこのレベルを求めるのはまだ時期尚早だったのだ」「ヒントだけあげたのだから、もう少し様子を見ながら待ってみようかな」という具合に、中立的にとらえることができます。

「相手にとって時期尚早」という判断は、アセスメントと言えるものです。

 もちろん、自分が否定されたという感覚にはなりません。

「機能するリーダー」なら「自分が否定された」という感覚に陥ることは、ほとんどないと言えます。

Q.報告書や企画書の間違いを指摘したりすると、嫌そうに顔をしかめる部員がいます。こちらは親切心で言っているつもりなのですが、難癖をつけているように思うのでしょうか? 注意した方がよいでしょうか?

 部下の「嫌そう」な顔が何を意味するのかは、もっぱら当人の「領域」内の話であり、真意は本人にしかわからないことです。

 もしかしたら、失敗してしまった自分に腹を立てているのかもしれません。

 あるいは、単に驚くと表情が険悪になる人もいます。注意に弱い自分自身が嫌いなのかもしれません。

 私も(特に男性向けに)講演をするとき、「なんでみんな怒っているのだろう」「私のことが嫌いなのではないか」とかつて思ったことがあります。

 でも、いろいろ「インタビュー」してみるとそうではなく、要は皆さん、緊張して「ちゃんと聴かなければ」と気合を入れると、あるいは講師に慣れて安心するまでは、顔が怖くなるようなのです。

 つまり、私自身とは基本的に何の関係もない話だったのです。

 ですから、「嫌そう」な表情を、必ずしも上司自身に関連づける必要はありません。

 修正が必要なことであれば、それだけを指摘すれば十分で、そこに「難癖をつけていると思われるだろうか」などという「怖れ」を乗せる必要はないのです。

 一般に、嫌われたくないと思えば思うほど「嫌な上司」になります。自己正当化が増え、聞いているだけで不愉快になるからです。「怖れのリーダー」が心から好かれ尊敬されることはないはずです。

 しかし、「嫌われたくない」という「怖れ」を手放して臨むと、単に役割期待を伝えるだけの「さっぱりした的確な上司」ということになります。