いまや世界第二位の経済大国に成長し、米国と覇権を争う存在となった中華人民共和国。その頂点に君臨する人物こそ、現国家主席の習近平である。習近平は中国をいかに先導しようとしているのか。在シドニー総領事、在上海総領事などを歴任し、現在は東京大学法学部大学院教授を務める小原雅博氏と加藤嘉一氏の対話を通じて、超大国・中国の実情に迫る。対談第2回。

揺らいではならない共産党の優位性

加藤嘉一(以下、加藤) 習近平さんは、共産党総書記就任以来、西側の制度を拒絶するようなことを言い、「中国の道」を強調してきました。また国営企業改革などのアジェンダを見ても、「党の領導の強化」を謳っています。彼の実父・習仲勲は革命によって天下を取った、共産党の地盤をつくった世代であることも、習近平さんに「まずは共産党の権力と威信が固まっていなければ何もできない」という政治信条をいっそう深いものにしているのではないでしょうか。そう見ていくと、西側の政治制度や価値観に対する拒絶や抵抗にも“納得”がいきます。

 2005年の胡耀邦元総書記生誕90周年の催しでは、政治局常務委員から温家宝(序列3位)、曽慶紅(序列5位)、呉官正(7位)の3人だけが出席し、談話を発表したのは当時国家副主席だった曽慶紅でした。それに対して、2015年の100周年では、常務委員7人全員が出席し、習近平国家主席が談話を発表しています。私は、この記念イベントを、実父・習仲勲も右腕としてサポートした改革派・胡耀邦に対する“名誉回復”の一過程であると認識しました。日頃、中国各地で交流させていただいている共産党の関係者たちのなかには、「習近平は胡耀邦の名誉を徐々に回復すべく動くだろう」という見方をする人も少なくありません。政治の改革を重視した胡耀邦の“名誉回復”を重視することが、習近平政権が政治体制改革を正視することにどのようにつながっていくのか。私はこの関係性を注視しています。

 一方で、先ほど述べたように、習近平さんは「中国の道」や「中国の夢」を強調します。家系的には、彼が政治改革を真正面から批判するような思想の持ち主だとは思いません。ただ私自身の執筆をめぐる政治環境から判断して、いま現在「政治改革」という言葉は使えなくなり、タブーですらあります。胡錦涛さんの時代は、領導人(リンタオレン)や指導者改革という政治改革の重要性について、たとえば『南方周末』や『人民日報』系で書くことができました。しかし、いまは「政治改革」の四文字も使えません。

 習近平さんは、胡錦濤さんのように鄧小平さんによって選ばれた指導者ではないが故に、まずはみずからの政策によって権力基盤を固めなければならなかった。そのためには、まず、保守的な“左”に迎合し、ある程度権力基盤が固まってきた時点で経済改革を実行し、その先に、可能であれば政治改革を描いているではないかと私は考えてきました。しかし、胡耀邦さんへの“名誉回復”と「中国の夢」や言論抑圧など左右両極端のシグナルが発せられている状況は、ジレンマに映ります。実際に、政治改革をどこまで、どういうタイミングで進めようとしているのかという意図は、まだまだ見えてきません。

 現状に目を向けると、反腐敗闘争によって恐怖政治が蔓延しています。腐敗を撲滅すべく徹底的に取り締まる一方で、改革のための行動を高圧的に促している。現場の役人たちは“二重の恐怖政治”に震え、身動きが取れない状況です。これから構造改革を実行していくうえで、その立案力や執行力を発揮すべき経済官僚たちが集団的事なかれ主義に陥っているのは、不安要素だと考えています。小原さんはどうお考えですか?

共産党の優位性を保ち続けながら、<br />中国は構造改革に踏み切れるのか小原雅博(こはら・まさひろ)
東京大学法学部大学院教授
東京大学卒業、カリフォルニア州立大学バークレー校修了(アジア学、修士)、立命館大学より博士号(国際関係学)。外務公務員上級試験合格後、1980年に外務省に入省し、国際連合日本政府代表部参事官、アジア局地域政策課長、経済協力局無償資金協力課長、アジア大洋州局審議官、在シドニー総領事、在上海総領事などを歴任。著書に、『東アジア共同体』『国益と外交』(以上、日本経済新聞社)、『「境界国家」論』(時事通信出版局)、『チャイナ・ジレンマ』(ディスカバー・トゥエンティワン)など多数。

小原雅博(以下、小原) 私も同じような認識を持っています。中国の現状を見ると、経済的に大きな転換期にあり、指導者にとって舵取りが難しい局面にあります。これまでの中国の経済成長モデルの根幹にあった、安くて豊富な労働力を使って製品を組み立て、それを輸出するという仕組みは競争力を失いました。労賃が上がり、他の途上国の追い上げや世界経済の低迷もあるなかで、投資・輸出依存型の成長パターンが機能しなくなったのです。

 他方、賃金の上昇は消費の増大につながります。中国は世界の工場から世界の市場へと変貌を遂げており、中国政府も消費主導型経済成長モデルへの転換を図っています。製造業の過剰生産能力を整理しつつ、サービス産業やハイテク産業を伸ばしていかなくてはなりませんが、産業構造の転換は痛みを伴いますし、地方債務や国有企業改革の問題もあり、大変です。

 そんな局面で反腐敗闘争を展開した結果、一般市民の受けはいいようですが、党官僚はいかに自分の身を守るかという安全策に汲々とし、予算は積んであっても手を付けようとしない異常な現象が各地で見られます。李克強首相は仕事をしろと檄を飛ばしますが、党幹部の心理は防衛本能に支配され、経済マインドは冷え込んでいます。

加藤 まさにジレンマですよね。

小原 そうですね。ほとんどの党幹部が程度の差はあっても腐敗していると言われますし、反腐敗闘争には権力闘争の側面もありますので、反発する人たちは少なくないでしよう。反腐敗は習近平さんの大きな武器ですが、返り血を浴びないためにも慎重に進めなければならないはずです。しかし、これまでの習さんのやり方は有無を言わさぬ強権的なものです。相当な覚悟で権力集中を進め、共産党を立て直し、中国を米国と並ぶ世界の強国に押し上げようとしていると思われます。

 しかし、共産党一党独裁を堅持したまま、すなわち、政治改革はやらないで経済の持続的成長や社会の安定をどう確保していくのか。習近平さんの答えは、法治に基づく近代国家です。中国の現状はまだまだ法治とは程遠い。それは中国に住んでみればよくわかります。日本のように国民の遵法意識が高く、安定した秩序が確立されている社会をどう作るか、その答えの一つが「法治」ということなのでしょう。しかし、この法治にも問題があります。それは「the rule of law」ではなく、「the rule by law」だということです。

 習近平さんが目指す「法治」はあくまでも中国共産党の支配の下での法治であり、法が党の上にくるわけではありません。法は党による統治の手段でしかありません。そうであれば、司法の独立を確保することはできないでしょうし、腐敗の根絶も困難になるでしょう。

 法治に見られる通り、中国共産党の絶対優位を揺るがすような改革はまず考えられません。中国共産党は執政党であり続けるという立場に揺らぎは見られません。従って、政治改革を行うとしても、その範囲の改革でしかないということになりますが、逆に言えば、その一点さえ担保されれば、それ以外はすべて許容するという改革になる可能性もあるということです。

 たとえば、「メディアの独立」と言った場合に、共産党支配を揺るがすこと以外は何を書いてもいいとなれば、農地を取り上げて開発業者に売却して、私腹を肥やす悪代官や住民の権利や環境を無視する「ブラック企業」を記者が摘発し、社会的正義が実現されるかもしれません。

 習近平さんが本気で中国を近代的な法治国家にしようと思っているのなら、以上のような政治改革は頭の中で描いているかもしれません。建国の父である毛沢東、改革の総設計師である鄧小平と並ぶ偉大な指導者を目指す習近平さんが政治改革を成し遂げるとすれば、その任期は2期10年で終わらず、3期に及ぶかもしれませんね。