かつてないほど高まっている
日本人の「不安」の正体

 先日、久しぶりに日本に戻り、友人たちと旧交を温めることができた。その時に集まったのが、たまたま精神科医とビジネスコンサルタントだったのだが、話しているうちに、面白いことに気づいた。

 普段精神科の外来で働いている医者と、さまざまな職場の人事コンサルタントという、一見まったく接点のない職業についている者同士が、実は仕事のなかで同じ現象を経験していたからだ。

バブル崩壊後は「どこに籍を置いても安心を得られない」社会になった日本。将来への不安を抱えて、うつや対人不安など、さまざまな精神症状を発症する人が増えている

 それは世の中の多くの人が「将来の不安」を抱えていて、その不安の度合いはかつてないほど高くなっているという現象である。将来の不安は誰にでもあるが、いま特徴的なのは、全世代がそれぞれ特有な将来の不安を抱えていて、それがうつや対人不安などの精神障害につながっており、さらには会社組織の崩壊を導きかねない事態になっていることだ。

 振り返れば、かつての日本は世界でもまれにみる「安心社会」だった。犯罪者などにならない限り、学校を卒業したら正社員として就職し、基本的には定年までその会社で働き、その途中で結婚し、家族を持ち、お金があれば持ち家を買う。それが昭和時代の「キャリアパス」であり、本人がそこそこの努力をしている限りにおいては、そのキャリアパスから外れることはほとんどなかった。

 筆者はかつてそういった社会を「堤防型社会」と呼んだことがある。「籍」を持つことで安心を得る社会である。少なくとも、戦後から現在にいたるまで多くの日本人が求めているのは、「良い大学に入って安心」「良い会社に入って安心」「良い人と結婚して安心」など、「あるところに籍を置けば、とりあえずその後は安心できる」という人生である。籍を置くことは、堤防の内側に入ることを意味する。その後は堤防の外のことを考えずに、安心して人生を送ることができるというわけだ。

 この価値観は、日本の社会制度と日本人の心性に大きな影響を及ぼしてきたのではないだろうか。日本人が人生において最も努力し、最も真剣に決断するのが、この「籍」を得るための行動だからだ。

 高校や大学の入試、就職活動、結婚、子どもの学校選びなどなど、何かの「籍」を得るためには多大な才能と努力が必要とされる。そして「籍」を得て、堤防の内側に入った後は安心していられる。

 逆に「籍」を得られない人は、「負け組」のレッテルを貼られる。この見方からすると、いわゆる「Fラン大学」(ランクの低い大学)の学生や「浪人」は、良い大学の「籍」を得られなかった人々だ。また、いわゆる「派遣さん」と呼ばれる非正規雇用社員は、正規雇用という「籍」を得られない人々だ。婚活を続けていても良い伴侶を得られない人は、文字通り「籍」を入れられない人である。