橘玲の日々刻々 2019年4月25日

「しーじゃとうっとぅ」は沖縄のヤンキーの絶対の掟であり、桎梏
【橘玲の日々刻々】

沖縄のヤンキーの「しーじゃ(先輩)とうっとぅ(後輩)」という強いきずな

 2007年6月、打越氏は那覇市内のゲストハウスに拠点を据えて調査を始める。その当時、夜の「ゴーパチ(国道58号線)」では連日、ヤンキーたちの暴走イベントが行なわれていた。

 この頃の沖縄には、離島やへき地、私立を除くほとんどの中学に、それぞれ暴走族があった。マフラーやシートを改造した大型バイクを運転するのは地元のリーダー格の先輩で、その後ろには(小売店の店頭にあるのぼりを失敬し、旗の部分を取り除いた)スティックを振り回す中堅のメンバーが乗る。後輩たちは小型バイクで先輩たちのバイクを追走し、追ってくるパトカーを防ぐ役割だった。

 ひとつの暴走族は少なくとも5人、多い時には10人を超えていた。免許をもたない15歳以下の少年は後部座席にまたがり、16歳になると小型バイクを運転し、その後は大型バイクの後部座席、やがて大型バイクの運転手へと、年齢に応じてそのポジションも変わっていく。

 20歳すぎの地元の先輩たちはギャラリーとして見物し、後輩たちの暴走に「気合が入っていない」と、自ら一一〇番して警察を呼びつけ、その場を盛り上げようとした。後輩たちは、警察の検問を強行突破したり、追走してくるパトカーに対して小回りのきくバイクで逃げ回ったり、公道を逆走したりした。こうした様子を一目見ようと、平日なら50人前後、週末なら100人以上のギャラリーが集まったという。

 出身中学ごとに暴走族がつくられ、そのつながりはそれぞれ強かったものの、80年代のように暴走族同士が抗争を繰り返すようなことはなかった。夜の「ゴーパチ」は若者たちがともに暴走を楽しみ、暴走族デビュー前の10代の少年たちが小型バイクで顔見せをし、あちこちから集まったギャラリーがその場を盛り上げる「イベント」の舞台だったのだ。

 ギャラリーの男女比は7対3程度で、彼らは地元の中学生が一人前の暴走族としてデビューする姿を見守った。

 そのゴーパチで打越氏はギャラリーの若者たちに声をかけ、親しくなり、「パシリ」としてその生活圏に入っていく。彼らの多くは建設関係の仕事をしており、建設会社の日雇いとしていっしょに働くこともあった。

 そんななかで打越氏が発見したのは、「しーじゃ(先輩)とうっとぅ(後輩)」という地元の強いきずなだ。沖縄のヤンキーたちは地元のつながりのなかで生きていたが、それと同時に、まとわりつく「きずな」で身動きがとれなくなっていた。

 

しーじゃとうっとぅは絶対の掟

 沖縄のヤンキーにとって、しーじゃとうっとぅは絶対の掟で、そこには日常的に暴力がともなった。暴走族としてデビューする中学時代からうっとぅはしーじゃにくるされ(殴られ)、やがて自分に後輩ができると同じようにうっとぅをくるした(殴った)。

 地元の中学を卒業したうっとぅたちは、しーじゃの伝手で建設会社で働くことになる。土木、型枠大工、鳶、左官、鉄筋など、どの職種にするかにうっとぅの適性は関係なく、しーじゃがどこで働いているかでほぼ自動的に決まっていた。しーじゃにとって、うっとぅは遊びにも仕事にも気軽に誘える都合のいい存在だった。

 4、5年勤めても賃金はそれほど上がらないのに、技術を身につけた中堅従業員が建設会社を辞めないのは、新たに入ってくるうっとぅを自由に使えるからだった。仕事も生活もうっとうに面倒をみさせるようになると、転職も他地域への移動もそう簡単にはできなくなる。

 狭い沖縄では、中学時代のしーじゃとうっとぅの上下関係が社会に出てもそのまま続く。建設会社の経営者は「地元つながり」によって従業員同士の安定的な関係を得ることができたし、現場で必要なスキルの多くがこの上下関係をもとに継承されていた。――建設不況によって、いまではこうしたしーじゃとうっとぅの関係もかなり変わった。建設会社からすれば、仕事のできない10代より中堅社員の方が使い勝手がよいため、全体の高齢化が進み、現場では10代や20代の従業員が長続きせずに辞めていくという。

 しーじゃとうっとぅの上下関係は厳格で、建設現場だけでなく、深夜のプライベートな時間にもパシリをさせられる。先輩の機嫌をとるための言葉かけや、先輩たちの無理難題をなんとかやり過ごす手順は、後輩たちが覚えなくてはならない必須事項だ。

 ここで打越氏は、次のような例を挙げている。

 彼女と遊んでいるとき、先輩から飲みに行こうと誘いの電話がかかってくることがある。後輩は先輩たちに合流しなければならないがすぐには移動できないので、「あとから、まわってきましょうね」といって、いったん電話を切る。これを数回繰り返すことで、先輩の機嫌を損ねることなく、誘いをかわすことができる。「まわってきましょうね」という言い方が絶妙で、自分としては合流しようと思っているが、より年上の先輩から誘いが来るなど予想外のことがあるかもしれないと言外ににおわし、結果として行けなかったとしても、最初に誘ってきた先輩を怒らせずにすむのだ。

 沖縄が「狭い」というのは、トラブルを起こしたときに逃げる先がないということでもある。打越氏が知り合った若者は、飲み屋(キャバクラ)で先輩の女に(そうと知らずに)手を出したとき、「かめーられる(探される)」のをひどく嫌がった。

 2010年頃の沖縄では、ヤンキーどうしの情報交換がインターネットの掲示板で行なわれており、すでに地元を越えた広がりをもっていた。バイクの売り買い情報から盗難バイク犯の捜索、浮気相手まで、このネットワークを通じてさまざまな情報がやり取りされていた。

 ヤンキー世界で生きていく者にとって、この掲示板に、先輩から呼び出しを食らって顔を出さずに逃げ回っていると書き込まれるのは、何としても避けなくてはならないことだった。しーじゃとうっとぅのしがらみのなかで沖縄のヤンキーたちは、いち早く「評判社会」を生きざるを得なくなったのだ。

 金融屋(サラ金回収業)を続けていくうえで重要なのは、顧客のブラックリストよりも、信頼できる後輩を集めることだった。「信頼できる後輩」といっても、それは「地元つながり」でがんじがらめにし、金を持ち逃げできないようにした後輩のことだった、打ち子(パチンコの台打ち)にしても金融屋にしても、思いどおりになる後輩がいないとなにも始まらない。それが沖縄の「ヤンキー経済」だった。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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