「幼少期の愛着関係が与える精神的な効果は一生つづく」は本当か?
ミーニーたちの研究は、「愛情あふれる母親の子育てが成功する子どもをつくる」「虐待やネグレクトは子どもに負の影響を与え、世代を超えて連鎖する」としてメディアに大きく取り上げられた。
ここで「愛着理論(アタッチメント・セオリー)」を思い浮かべたひともいるだろう。1950年代から1960年代にかけてイギリスの精神分析医ジョン・ボウルビーとトロント大学の研究者メアリー・エインズワースが発展させた理論で、「慣れない状況(ストレンジ・シチュエーション)」の実験で知られている。
被験者となる母親が研究室に生後12カ月の子どもを連れてくる。しばらく母子でともに遊んだあと母親が部屋からいなくなり、子どもは見知らぬ大人と部屋で遊ぶか、ひとりで残される。しばらくすると母親が戻ってくるので、そのときの子どもの反応を観察するというのが実験の概要だ。
ボウルビーは母親との再会の様子によって、子どもをふたつのグループに分けた。ひとつは、戻ってきた母親にときには泣きながら、ときにはうれしそうに駆け寄って抱きついたりする「安定群」で、60%の子どもがこのグループに入った。残りは母親が戻ってきても気づかないふりをしたり、母親を叩いたり、床にうずくまって動かなかったりする「不安定群」の子どもたちだ。
ボウルビーは、安定群と不安定群の子どものちがいは、生後1カ月ほどの母親の子育てによって決まり、このとき親からのしっかりとした反応=愛着を受けた乳児は、1歳になる頃には自立心が強く積極的になり、就学前の時期には自立心旺盛に育つと主張した。親からの温かく敏感なケアは、子どもが外の世界に出てゆけるための「安全基地」になるのだ。
その一方で、母親が子どもに対して突き放した態度をとったり、葛藤や敵意を抱えていたりすると「不安定群」の子どもに育ち、学校や友だちとうまく適応できなくなる。そして、「幼少期の愛着関係が与える精神的な効果は一生つづく」とエインズワースは唱えた。
これはまさに、ミーニーの母ラットと子ラットの実験と同じだ。エインズワースの愛着理論には毀誉褒貶があったものの、それがエピジェネティックな作用であることが証明されたと支持者は考えた。子どもが幸福になるかどうかは、母親の愛情によって決まるのだ。
その後、1972年にエインズワースの助手たちがミネソタ大学で「愛着理論」の検証実験を行なった。
研究者はミネアポリスの公衆衛生クリニックから267人の妊婦を研究対象として採用した。80%が白人で、3分の2が結婚しておらず、半数が10代というから、ランダムサンプリングではなく貧困家庭やドロップアウトした母親が意図的に選択されたことになる。研究者たちは長期にわたるコーホート(集団追跡)研究の結果を、2005年に『人格の発達 The Development of the Person』としてまとめた。
それによると、「不安定群」に分類された子どもが大人になってから成功する例もあったものの、多くのケースで、「慣れない状況」やその他のテストで判定された満1歳時点での愛着関係が、その後の人生を広範囲にわたって予測する指標になっていた。「アタッチメントの安定した子どもたちは人生のどの段階でも社会生活を送るうえで有能だった。就学前も友だちとうまく遊ぶことができ、思春期の複雑な人間関係もより上手に切り抜けることができた」という。以下、タフ『成功する子 失敗する子』から引用する。
「就学前の子供の場合、ミネソタの研究で「安定群」に分類された子どもの3分の2が教師によって行動面で「望ましい」と判断された。そうした子どもたちは人の話が聞けて、積極的に活動でき、教室のなかでめったに癇癪を起さなかった。「不安定群」に分類された子どもでは、「望ましい」部類に入ったのは8人に1人で、教師の分類によれば大部分の子どもが行動面でひとつ以上の問題を抱えていた(ちなみに、教師たちは「慣れない状況」の結果を知らされていなかった)。幼少期における親の役割に関心が薄く、感情面での要求に応じないと診断された親の子どもたちは、幼稚園ではもっとも低い成績しかあげられず、教師はそのうちの3分の2に特別教育を受けるか小学校への入学を延期することを勧めた。(中略)。さらに「不安定群」の子どもは教師やほかの子どもたちから意地悪であるとか、反社会的な傾向があるとか、未熟であるなどといわれることが多かった。(中略)
子どもたちの高校生活を追ったところ、どの生徒がきちんと卒業するかを予測する際に、知能検査や学力テストの得点よりも、幼少期の親のケアに関するデータの方が精度が高かった。幼少期の親の関わり方のみを判断材料に、子供たち自身の気質や能力をあえて無視して数字をはじきだしたところ、精度は77%だった。つまり、子どもたちが4歳にも満たないうちに誰が高校を中退することになるかを8割ちかい確率で予測できたことになる」
どうだろう。これで愛着理論の正しさが証明されたのではないだろうか。
とはいえ、子どもを育てたことのあるひと(母親はもちろん父親でも)なら、ボウルビーの「安定群」と「不安定群」の解釈に違和感を覚えるかもしれない。「慣れない状況」に置かれた1歳児が、母親との再会で泣いたり喜んだりするのは当たり前で、母親が声をかけても無視したり、床にうずくまったまた動かないというのは尋常ではない。いまなら真っ先に発達障害が疑われるのではいだろうか。
もしそうなら、「不安定群」とされた子どもが社会的関係をうまくつくれなかったり、特別教育を受けるように勧められたり、高校を中退することになったとしてもなんの不思議もない。愛着理論など持ち出さなくても、遺伝的要因(自閉症やADHDの遺伝率は80%以上)だけで説明できてしまうのだ。
子どもをなめる母ラットを「愛情がある」と見なすのは正しいのか?
ミーニーのラットの実験とボウルビーの愛着理論を重ね合わせるのは、無意識のうちに「擬人化」と「擬鼠化」という論理的誤謬に陥っている。
擬人化というのは、子どもをなめる母ラットを「愛情がある」、なめない母ラットを「愛情がない」と見なすことだ。ラットに愛があるかどうかは科学的にまったく証明されていないが、不思議なことに、高名な心理学者ですらこのような表現を安易に使っている。擬鼠化というのはこの逆で、「慣れない状況」の実験で分類された「安定群」と「不安定群」の子どもを、無条件にミーニーのラット(鼠)と同じだと見なすことだ(渡辺茂『動物に「心」は必要か 擬人主義に立ち向かう』東京大学出版会)。
じつはミーニー自身が、ラットを使った研究をヒトにも延長できると考えていた。自殺者の脳細胞を調べ、「子どもの頃に虐待された自殺者と、そうした経験のない自殺者では、海馬のストレス反応に関係するDNAのまったく同じ場所にメチル化の痕跡が見つかった」と発表しているのだ。これはたしかに興味深いが、脳の組織の比較はきわめて微妙で研究者ごとに判断が異なるとされるから、決定的とはいえない。
そこでニューヨーク大学の心理学者クランシー・ブレアは、1万2000人を超える幼児を生後まもない頃から追跡する大規模な実験を行ない、「母親が無関心だったり無反応だったりした場合、家庭内の騒動や混乱、人の出入りといった環境上のリスクが子どものコルチゾール(ストレス)の値に大きな影響を及ぼす」と結論した。逆に質の高い育児は、「逆境による子どものストレス対応システムへのダメージをやわらげる強力な緩衝材」となった。
またコーネル大学のゲイリー・エヴァンズは中学生を対象に、近所の騒音から家族内の軋轢まで、あらゆるものを考慮に入れた累積されたリスクの値(血圧や尿中のストレスホルモンのレベルや肥満度指数など)と、母親の反応の度合いを比較した。母子の愛着は、母親に関する質問への子どもの回答と、母子でいっしょにジェンガ(積み木崩しのようなおもちゃ)で遊んでいるところを研究者が観察した結果を総合して評価した。その結果も、環境上のリスクが高いほど子どものストレス値も高いが、母親が子どもに特別の関心を寄せている場合は、家が狭いとか、困窮しているとか、家庭内に騒動があるなどといったストレス要因の影響はほとんど見られなかったという(タフ、前掲書)。




