何もしないことが“中立”なのか

「いじめの四層構造」(前回参照)では、「いじめ」の場の周囲にいる「観衆」や「傍観者」が、加害者に「小さなNO」のサインを送り、その場の空気を変えていくことで「いじめ」の重大化を防ぐことができるとされますが、しかし、「実際に動く」ことは口で言うほど簡単ではありません。

 Yさんのように、「私は“中立”でいたい」と言う人が現れると、その周囲にはたちまち、「自分が動くことは“おせっかい”ではないのか」「友だち関係に横から口出しするのは間違っていないか」「Yさんの言うことの方が“正しい”のでは?」といった疑念が広がっていきます。「中立」という言葉には、それほどの影響力があるのです。

 授業ではまず、辞書に載っている「中立」という言葉の意味を紹介します。辞書によって書き方はさまざまでますが、概ね「誰の味方もしないこと」と説明されています。では、この場合の“中立”とは、どのような振る舞いを言うのでしょうか。果たしてYさんは“中立”なのでしょうか。これは、極めて難しい問いです。

 確かに、「何もしない」と決めたYさんは、Aさんの味方もBさんたちの味方もしていませんから、“中立”と言えそうな気もします。法律の定義を手繰ってみても、例えば国際法における「中立」は「何もしないこと」を意味する場合があります。

 先に結論を述べてしまうと、「何もしない」という意味の“中立”に関しては、私たち弁護士にも“絶対的な答え”は出せません。個々で意見は異なります。それでも、ここで言う“中立”の意味に正面から向き合ってみる価値はある、と私は考えています。

 多くの生徒さんたちから出る意見は、「難しいことはよく分からないが、屁(へ)理屈のように感じる」「何もしなければ『小さなYES』と一緒。行動しないのを正しいことのように言うのはおかしい」「Yさんは、巻き込まれるのが面倒だからそれっぽいことを言っているだけ」といったものです。「確かに“中立”かもしれないが、“公平”ではないと思う」と鋭い指摘もあります。

 Yさんの発言内容に注目する意見もあります。「Yさんは、Aさんを『正義感が強すぎる』『頑固』などと悪く言っている。これはBさんに味方しているのと同じ」「Bさん側の言い分しか聞いていない。不公平」「『ダサい』『キモい』などと言うのは明らかに『いじめ』」「Xさんは『いじめ』を『いじめ』と言っているだけなのに、『決めつけ』などと言うのはおかしい」――などです。