「大学合格者特集」2度の危機!個人情報保護より強烈な卒業生の圧力大学入試と大学の情報で一世を風靡した安田賢治さん(中央。2010年頃)は、毎春欠かせない存在だった

20年前に施行された個人情報保護法により、合格者の実名報道が困難を来すようになった。多くの読者から期待されていた東京大合格者特集号など大学特集は、その後、どのように変わっていったのか。今年の4月10日号で創刊100周年を迎えた「サンデー毎日」での出来事を振り返りながら、大学入試の変遷についても考えてみたい。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子)

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個人情報保護法で環境が一変

――個人情報保護法は、合格者特集にも大きな影響を与えたのではないかと思います。

「大学合格者特集」2度の危機!個人情報保護より強烈な卒業生の圧力安田賢治(やすだ・けんじ)
1956年兵庫生まれ。灘中学校・高等学校から早稲田大学政経学部に入学。在学中、世界各地を放浪し、占い師の見習いも経験。卒業後、1983年大学通信に。同社常務取締役と情報調査・編集部ゼネラルマネージャーを兼ね、さまざまな媒体に大学情報を提供してきた。中学受験から大学入試まで語れる希有な人材だった。2022年3月13日逝去。

中根 特集をやめるという考えには、「これはサンデー毎日の伝統だからやめてはいけない」という意見も強く、続けることになったのですが、だいぶ体制も縮小されました。その頃から週刊誌の部数も下降気味で、2005年から翌年にかけて、存立に関わる事態ということで、てこ入れのため新機軸を打ち出すようになります。

 東大特集号で週刊朝日に負けるようなことが起き、教育担当のデスクに私が就くことになりました。編集長からは、「秋からだけだと思うな。一年中教育企画をやれ。でも、人は付けない。お前一人で大学通信とうまくやれ」と。大学通信と一緒に特集などを考えることになり、昼は編集作業があるので電話で安田さんと相談し、夕方には直接会いに行くというような毎日でした。

――こうした事態をどのようにして乗り越えていったのでしょう。

中根 とにかく合格者の名前を出せなくなってしまったので、学校からの聞き取りで人数だけをまとめるようになりました。そのとき問題となったのが、合格者が1人とか2人だと結果的に誰だか名前が分かってしまうので、これは個人情報だから出せないと、合格者数ですら出さない学校が出てきたことです。

後藤 本当は、高校としては学校名を出してほしい(笑)。

中根 でも、校長の立場としては出せない。合格者数が2人、3人の学校から情報を得るのがきつかったですね。

後藤 まだ、いまほど高校も生徒募集がきつい時代ではなかった。それから10年後には募集が大変になって、積極的に合格情報を出すようになったわけです。

中根 当時は私立の武蔵ものんびりしていましたが、それが積極的に出すようになった背景には、卒業生の存在があります。「なんでうちだけ出ていない?ゼロなのか!」と、編集部に電話が掛かってくる。元社員のOB記者からも「どうなっているんだ」と言ってくる。

「何度言ってもダメなんですよ。先輩から言ってくれませんか」とお願いしたら、それが効いたようです(笑)。「学校がのらりくらりしているから、何人かで電話するようにするわ」と言いだしまして。

後藤 電凸が始まった(笑)。

中根 そうしたら翌年から、学校側の対応がコロッと変わりました(笑)。それだけ楽しみにしている人がいっぱいいるということです。

――個人情報保護よりOBの圧力が勝ったというわけですね。

後藤 国立の付属校も、学校によって対応が違いますね。筑波大学附属は昔から対応してくれましたが、東京学芸大学附属や筑波大学附属駒場はそうでもなかった。

中根 最近は少し変わってきて、筑駒からも1週間遅れくらいで届くようになりました。