そのとき、アイアコッカは54歳。そのまま引退することもできたが、その数ヵ月後にクライスラーモーター社に入り、1979年9月に会長兼CEOとなる。そして、自動車産業の歴史上、最も鮮やかな企業再生の1つをなし遂げることになる。
アイアコッカがクライスラーに入ったころ、同社は不振にあえいでいた。彼はすばやく状況を把握し、対策を実行した。すなわち、過剰在庫を一掃し、ハーツやエイビスといったレンタカー企業と契約の交渉に乗り出し、優秀な人材を大量に採用し、実質的なレイオフも実施した。とくに重要だったのは、政府に対して12億ドルの債務保証の申請をしたことだ。この債務保証には新たな法律の制定が必要で、アイアコッカはワシントンの下院と上院の公聴会で証言をしなければならなかった。アイアコッカはついにその要求を承認させることに成功する。その証言こそ、アイアコッカのセールスマンとしての力量を証明したものだった。
クライスラーの社内ではコスト削減に取り組んだ(本人も給与を1ドルに引き下げた)。自動車マーケットが上向いたときに、クライスラーの潰えかかっていた運命が息を吹き返した。1983年、クライスラーは9億2500万ドルの利益を計上する。
アイアコッカは同社の救世主と称えられ、アメリカの大統領選挙に担ぎだそうという話まで飛び出した。ミニバンの製品群の投入によって、クライスラーの将来に対する足固めができた。1983年、新たな資本計画を打ち出してまもなく、アイアコッカは額面8億1348万7500ドルという歴史的な小切手を発行し、政府からの借入金を清算した。
アイアコッカはさらにクライスラーの業績を伸ばし続けた。15億ドル規模のアメリカンモーターズ社の買収を指揮し、「ジープ」をクライスラーの製品群に組み入れている。さらにまた、低燃費のKカーの推進にも成功した。1992年にクライスラーを辞めたものの、その経営への情熱はまったく衰えを見せなかった。自動車会社の巨人を去ってから、小さな企業、EVグローバルモーターズ社を立ち上げ、電動自転車のeバイクを販売している。
プロフィール
1924 誕生
1939 リューマチ熱にかかる
1946 フォードに入社、トレイニー・エンジニアとなる
1949 セールスマネジャーになる
1956 「56ドルで買える56年型車」と銘打った自動車ローン支払いの新方式を案出
1960 フォード部門のトップになる
1970 フォードの社長に就任
1978 ヘンリー・フォード2世によって解雇される
1979 クライスラー社の会長兼CEOとなる
1983 額面8億1348万7500ドルの小切手を発行し、クライスラーの連邦政府に対する負債を清算
1992 クライスラーを辞め引退
1999 EVグローバルモーターズ社を発足させる



