アメリカの安全カミソリを考え出した起業家キング・キャンプ・ジレットは、ありふれた日用品に着目し、それを進歩させることで富を築いた人物だ。
ジレットは自分の発明の可能性を信じ、1901年にアメリカン・セイフティ・レザー社を設立、製品化しないうちから投資家の援助をあおいでいた。生産を始めた1年目、ジレットが販売したカミソリセットは51個、刃は168枚だった。1905年には、カミソリセットが25万個、刃のパッケージが10万個になっていた。
ジレットの成功の秘密は、ブランド構築に対するその進歩的な姿勢にもあった。使い捨ての刃の包装紙に描かれたジレットの肖像のおかげで、たちまち世界的な有名人になる。その社会理論を通して社会の改造に手を染めるようになったころには、ジレットの安全カミソリは世界中の男性にとって、日々の身だしなみに欠かせない道具になっていた。
成功への階段
キング・キャンプ・ジレットはウィスコンシン州フォンドゥラックで、発明一家の子として生まれた。父親は特許の代理人で、ちょっとした発明家でもあった。母親は台所での試行錯誤の繰り返しを財産にして、料理の本を書いていた。この本は1世紀を経た今でも、書店で販売されている。
ジレットが4歳のとき、一家はシカゴに移り、そこで金物の商売を始めた。運の悪いことに、この商売はシカゴの大火事で元も子もなくなり、1871年にもう一度引っ越しをする。今度はニューヨーク市だった。
ジレットは行商の仕事を得る。与えられた製品をただ売り歩くだけでは満足できず、その製品の改良をせずにはいられなかった。1890年には申請して認められた特許の数が4件になっている。1895年になると、コルクを使った王冠を発明した人物のもとで働いていた。
この人物は、ジレットにある簡単なアドバイスをしていた。「使ったら捨てられてしまうものを発明しろ」。ジレットはこの言葉を真剣に受け止め、安全カミソリに目をつけるようになる。
その当時の男性は、昔ながらの柄と刃がまっすぐくっついたカミソリを使ってヒゲを剃っていた。ところが鉄道が発達するにつれ、この素朴な道具を見直そうとする動きが生まれていた。揺れる車両の中でこれを使うのは、文字通り危険きわまりなかったからだ。重い刃が適切な角度で短い柄に取り付けられた、いくぶん安全なカミソリも生み出されてはいたものの、まだまだ大きな欠点があった。
ジレット自身は「スター」ブランドのカミソリを使っていたが、それはそれまでの刃と同じように、革製のストラップを使って絶えず研いでいなければならなかった。そして、この刃は使っているうちにやがて消耗し、そうなれば捨てるしかなかった。