もっとも、サラリーマンとしての貞末は「ピンチの連続だった」という。事業家の血筋のせいか、会社勤めであっても、発想が会社員的ではない。何事も、「オーナー感覚で見てしまう」。小売り店に対して返品条件を緩めて、売り上げ拡大を図ろうとする会社に反対し上司とぶつかった。一事が万事で、商品戦略、物流政策、人事……ことごとく対立した。

 だが、その“反抗”は決して的はずれなものではなかったようだ。サラリーマンとして30年間に渡り歩いた会社は、今はもうない(現在のVANはOBらにより再建されたもの)。拡大路線に失敗、会社が窮地に陥る例を見せつけられてきた。

 「業界の常識を踏襲してはいけない」──。

 貞末はそもそも、中間流通が収益の6割を持っていくアパレルの業界構造に危機感を持っていた。そして、「お客様の立場から見れば、売る会社と作る会社があれば、ほかはいらない」と考えついた先に、理想を実行に移すべく立ち上げたのがメーカーズシャツ鎌倉だ。中間流通を通さず、工場に直接製品を発注し、在庫リスクを自ら負う。今でいうSPA(製造小売り業)のビジネスモデルである。

鎌倉シャツ
わが社はこれで勝負!
“鎌倉シャツ”の大半が5145円(税込み)。百貨店などで販売される有名ブランド品と、生地、縫製の品質で勝るとも劣らず、価格は半分以下だ。昨今は、ネクタイなど他のジャンルにもチャレンジを始めた

 商品開発は季節の影響を受けにくく、死に在庫になりにくいシャツに絞った。「服装の印象の七割方を決めるにもかかわらず、日本にはいいものがなかった」点も、決め手になった。

 だが、常識を破壊することほど難しいことはない。当時は、中間流通を通すことが常識だった。それを覆すSPAは、コンセプト自体を周囲に理解してもらえなかった。資本力は、むろんない。協力者となる業界の友人もいない。売り上げが1ヵ月に100枚程度しか見込めない小さな店舗に、製品を供給してやろうなどという企業も、皆無だった。頼りになったのは、「販売の天才」と彼が信じる妻で社長の貞末民子だけだった。

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創業半年で「販売の天才」が長蛇の列を実現

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