貞末良雄
メーカーズシャツ鎌倉会長 貞末良雄

 バブルが崩壊し、長期不況のとば口にあった1993年、貞末良雄は妻と2人で古都鎌倉に小さなシャツ専門店を開いた。わずか15坪(約50平方メートル)の店の名は、「メーカーズシャツ鎌倉」。それから16年、“鎌倉シャツ”の愛称で親しまれる同社の製品は、いまや年間30万着を超える販売数を誇る。

 顧客の評価を集めたのは、なんといってもその品質の高さにある。綿100%の高級生地だけを使い、縫製は世界最高レベルを誇る日本国内の工場で行なう。品質の高さは、抜群の着心地、質感を生み出す。百貨店なら1万円を下らない高品質にもかかわらず、価格は5145円(税込み)とリーズナブル(一部製品を除く)だ。

 今のファッショナブルな姿からは想像もつかないが、大学卒業後に貞末が選んだ職業は「特殊ランプの設計士」。電気工学の専攻を生かしての就職だった。もっとも、「先祖代々、繊維商人」という血を引く者には「勉強すればそれでいい」技術者の世界は居心地のいい場所ではなかった。

商人目指しアパレルへ
時代をリードする師匠石津謙介の衝撃

「商人になりたい」──。

 ほどなく、自然にアパレルの道を選び直した。入社したのは、若者のファッションに革命を起こした伝説の男、故・石津謙介が率いていたヴァンヂャケット(以下、VAN)だった。

 今でも先生と呼び、崇拝に近い思いを抱く。日本にメンズファッションを浸透、定着させたという実績からだけではない。石津の教えは時代を一歩も二歩も先んじていた。「物質的に満足した後には、環境重視の時代がくる」「生活全体をデザインする、その一部に服がある」──。現在にこそ通じる思想を、30年以上も前に説いた。