三井生命の前身は、東京・銀座の商店主たちが発起人となった「高砂生命」。その後、関東大震災による影響で経営権を三井グループを統括する三井合名会社に譲ったことで、1927年に現在の社名になっている。

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が旧財閥の商号・商標の使用を禁じる政令を出した際、三井グループは「商号商標保全会」を結成し、禁止令撤廃活動を強力に推進。三井生命は一時、中央生命という名称で営業を余儀なくされたが、そうした活動の甲斐もあって52年には名前を取り戻した。

 以降は、保全会を中心に厳格な三井ブランドの管理体制が敷かれ、三井の名称に安易にあやかろうとする企業と、法廷の場で争ってきた経緯がある。三井を名乗るための資本構成の“掟”も存在し、法廷闘争ではそれがときに強力なカードにもなってきた。

 にもかかわらず、日生が三井生命の株式の82%超を握る状況で、三井の名称を使い続けることは、いかにも具合が悪い。

 保全会や実務を取り仕切る商号委員会の場においても、事務局となる三井不動産、三井物産、三井住友銀行のグループ御三家の間で「三井生命の名称をどうするかについて、日生の買収当初から温度差があった」(関係者)というが、ここにきて「ケジメをつけるべき」という声に、三井生命としても抗えなくなったようだ。

 今後三井生命は、社名変更をきっかけに名実ともに日生のグループ会社として、経営の一体化をより一層進めていくことになる。

(週刊ダイヤモンド編集部 中村正毅)