『週刊ダイヤモンド』4月2日号の第1特集は、「日本をつくった27大財閥の素顔 三井・住友名門烈伝」です。戦国・江戸時代から続いてきた三井、住友グループ。その歴史と伝統は最強"財閥"の三菱グループもかないません。時代を超えて受け継がれてきた「名門力」に迫ると同時に、各地に散らばる「地方財閥」にも焦点を当てました。日本の名門烈伝をお届けします。

Illustration by Mitsuru Tokishiro

 旧三大財閥の社長会の中で、戦後最も早い1951年に発足したのが、住友グループの「白水会」だ。“純血”を重視する白水会には、その結束力を維持するための秘密のおきてがある。

「血判状」──。白水会に出席するグループ企業の社長が、そう例える書類がある。

 住友精神の順守などが定められたこの書類に押印しなければ、白水会への出席は認められない。まさか本当に指を切り、自らの血で押印するわけではないだろうが、決意の固さを示す誓約書のような存在だ。

 決して外部に明かされることのない血判状をめぐり、白水会を二分するような激論が交わされたのが、2012年に新日本製鐵と経営統合した住友金属工業(いずれも当時)の白水会離脱問題だ。

 三井住友銀行、住友化学と並ぶ“御三家”の一角だった住金は当初、「白水会への出席は継続したい」(友野宏社長=当時、11年9月の記者会見で)との意向を持っていた。

 新会社名に住友の名前を残すため、「新日鐵住友」への社名変更も模索したが、新日鐵側が拒否。新日鐵はどの企業グループにも属さず、三菱系や三井系の企業とも取引がある。当時の売上高で約3倍の開きがある新日鐵との合併を選択した時点で、住金側の意向が通る可能性は低かった。

 住金は結局、血判状に押印することができず、白水会を去った。「住友の結束力の源泉は、この血判状にある。住友精神を守れない会社が残っていいはずがない。はんこを押せないのであれば、出ていってください、ということだ」。当時の出席者は打ち明ける。

 住友大阪セメント(発足1994年)、三井住友銀行、三井住友海上火災保険(同2001年)、三井住友建設(同03年)、三井住友信託銀行(同12年)と、90年代以降、住友系はグループ外企業との統合が相次いだ。

 しかし、こうした企業は今も白水会に残る一方、住金や住友軽金属工業(現・UACJ)のように離脱した企業もある。この違いは、血判状に押印できたか否かにあったというわけだ。