自由に扱わせることが指導負担の軽減に
今回のGIGAスクール構想における最大の課題は、突然大量の端末をあてがわれて当惑している教育委員会・学校・教員側にあります。端末を授業で使いこなせないのではないか、授業に余計なものを持ち込みたくない、という教員の懸念や拒否感は依然として大きい。かつても、さまざまな電子機器が教室に配備されてきても、あまり活用されずに“死蔵”され、無用の長物と化していった過去があるので、笑い事ではすまされません。
これらの懸念や拒否感の背景は、これまで日本の学校で支配的な指導原則にあります。つまり、教員が授業のすべてをルール(統制)することで、ICTも同様の“教員指導力”が求められてきました。教育効果が期待できる場面でのみピンポイントで使わせる、教科の教育目標をさしおいて専らICTを扱うことを目的としてはいけない、といったことが教員研修で強調された結果、ICTの活用は普及するどころか、逆に教員を萎縮させてしまいました。
私は“北風と太陽”のたとえをよく使うのですが、子どもたちの手元にあるデジタル端末をすべて管理・制御しようとすれば、教員の負担は半端なく大きくなるでしょう。むしろ、子どもたちが元々備えている好奇心や普段使いのICTリテラシーをうまく生かし、ある程度自由に扱わせることを前提にすれば、教員が無理をする必要はなくなるわけです。
ビジネスでパソコンを使っている方はお分かりかと思いますが、5年もすればスペックは陳腐化します。教員が“指導力”を付けるまでとか、理屈を付けて後生大事にしまい込むより、道具としていかに使い倒すかを前向きに考えた方が現実的です。そういう使い方ができる学校とそうでない学校とで、義務教育段階での公立校間格差が見えてきています。これは大変に不幸で深刻な事態だと思います。
次回は、教員や保護者など、大人の事情が阻害する子どものデジタルリテラシーについて考えてみたいと思います。