あだ名の禁止で問題は解決するの?

 近年、小学校などにおいて、いじめ防止の観点から子ども同士があだ名で呼び合うことを禁止する動きがあるようです。今回のケースでも、Aさんが学校を休みがちになった原因にあだ名があると知ったE先生は、子どもたちに「あだ名を禁止する」可能性を示唆します。

 前提として、子どものいじめが増加する原因は主にストレスであるといわれています。大人による厳しい指導が行われる教室では、それだけ子どもたちにストレスがかかりますから、いじめが増加しやすい傾向が見られます。いじめを防止するには、子どもたちがストレスを感じにくい風通しのよい環境を整えていくことが大切です。

 よって、子どもたちの行動を突然、一律無期限に制約する抑圧的な方法を選択することには慎重になった方がよいでしょう。あだ名による「いじめ防止」を指導の目的とするなら、何がいけないのかを考えるためのあだ名禁止期間を設定するなど、手順を踏む配慮が必要です。

 すでに起きているいじめの「解決」を目的とする場合も同様に、あだ名の禁止が本当に有効かを十分に検討した方がよいと思います。

 特に、今回のケースは、「姫」というあだ名そのものに問題があるわけではありません。Aさんの心情を無視したコミュニケーション、Aさんを尊重しないクラスメートたちの態度にこそ問題があるのです。子どもたちにはその点を理解させ、相手を尊重するコミュニケーションを学ばせていく必要があります。

「あだ名を使わない」という形式さえ守れば済む問題ではありません。「あだ名禁止」を持ち出すことで、かえって本質を見失わせるようなことになっては本末転倒です。

 あだ名の一律禁止は、子どもたちが「呼ばれ方を自分で決める」過程に大人が介入するという意味で、自己決定権の制約につながることにも注意が必要です。大人が安易に子どもたちの権利を制約してしまえば、子どもたちは「自分たちの権利は大人の一存で簡単に制約できるもの」と勘違いしてしまいます。

 これまでにも述べたように、自身の権利が制約されることに慣れてしまった子どもが、大人になった途端に自身の権利の制約に声を上げられるようになるとは考えにくく、子どもの権利に対する熟慮のない制約は、私たち大人の権利にも負の影響を与えることを意識しておく必要があります。

 ケースの最後でE先生は、あだ名を禁止する旨を示唆しているだけですが、いじめの防止や解決という目的でそれを実行に移すのであれば、目的の達成に見合った形で、必要最小限度の制約にとどめることが望ましいでしょう。