地域バランスの取れた栃木県
群馬県の旧中部第1学区の伊勢崎市では、伊勢崎市立伊勢崎高校を改組して、2009年に開校した市立四ツ葉学園中等教育学校が22位となっている。図中にはないが、男子校の伊勢崎のほか、05年に共学化して現校名になるまでの伊勢崎清明は、旧制女学校から100年以上続く伊勢崎女子だった。
旧東部第1学区の太田市には12位太田と21位太田女子、旧北部第2学区の渋川市には、24位渋川と32位渋川女子といった具合に、男女コンビのトップ校がいまも残る。
旧北部第1学区の沼田市には、男子校の33位沼田が入った。ここからはいずれも図中にはないが、太田市には、県内に3校しかない公立中高一貫校の残る1校、市立商業を前身とする太田市立太田中学校・高等学校がある。中学の開校は12年とまだ新しい。旧東部第2学区の桐生は41位だった。旧西部第2学区には藤岡と藤岡女子があったが、07年に合併して藤岡中央となった。こうした男女合体型は、少子化の折、これに続く学校も出てくるだろう。
ここからは栃木県である。県内には国立大が一つあるのみで、公立大はない。国公立大志望の生徒は、県外に出ることが基本となる。15年から学区は廃止されたが、七つの旧学区に沿って現状を見ていこう。いずれの旧学区からも図中に入っている。中高一貫校も併設型の3校を配置するなど、群馬と茨城の中間的な方針で、県内の地域間バランスを取りながら、公立進学校の維持を慎重に図っている様子がうかがえる。
県内人口の4分の1が集まる宇都宮市では、2位宇都宮、11位宇都宮東、16位宇都宮女子、40位宇都宮北がランクインした。群馬の前橋に比肩する宇都宮(通称「宇高(うたか)」)は、旧制1中以来の県内最難関男子校の地位を維持している。宇都宮女子(通称「宇女高(うじょこう)」)も同様だ。
宇都宮東は1963年設立の男子校だったが、07年に中学校が付設されて県内初の公立中高一貫校となった。その卒業生が高校に進む10年から高校も共学化が始まっている。宇都宮北は80年開校で、スーパーイングリッシュランゲージハイスクールの指定を受けるなど、国際化教育に特色を出そうとしている。
上都賀地区の39位鹿沼は旧制高等女学校が学制改革で共学化して現校名となった。下都賀地区では6位栃木、15位石橋、31位栃木女子と3校が40位内に入っている。栃木は旧制2中以来の男子校、栃木女子は旧制高等女学校からの女子校と伝統を保っている。一方、石橋は学制改革で共学化した旧制中学がルーツとなっている。
安足地区の26位佐野は旧制中学以来の男子校だったが、宇都宮東(通称「東高(ひがしこう)」)より1年遅れで同様の経緯をたどって中学を付設、11年から共学校になった中高一貫校である。36位足利は、先述した藤岡中央と同様、男子校の足利と足利女子が合併して22年に発足した。校名こそ男子校を受け継いだが、校訓「進取・忠恕・自学」、校歌や校章も一新して、共学校として新たなスタートラインに立ったばかりである。
芳賀地区の23位真岡は、県内では宇都宮、栃木に次ぐ旧制3中を前身とする男子校で、那須地区の10位大田原も旧制中学からの男子校ということで、旧学区のトップ校である。塩谷・南那須地区の25位矢板東は、県央の宇都宮東、県南の佐野と同様、県北の代表として12年に中学校が付設されている。戦後、新制の普通科高校として設立されている。
宇都宮市には、自民党衆議院議員の船田元氏など一族が理事会を治める学校法人作新学院と学校法人船田教育会がある。幼稚園から大学まであるこれらの学園では、中等部の募集人員こそ160人だが、高等学校は1490人と全国屈指の規模を誇る。ここが県立校の大きな併願先となっている。
また、地方創生を大義とした文部科学省による大規模私立大の定員管理厳格化で、県内の鉄道の要所である小山市にある白鴎大も潤った。県内外の国公立大に進まなかった学生のこちらも受け皿となっている。経済情勢が安定しない昨今は、学費や下宿代の負担から、早稲田大を蹴って、学費減免で白鴎大に進学する学生もいる。医学部医学科としては、自治医科大(下野市)と獨協医科大(壬生町)がある。