社是に込めた思い
創立15周年において、幸一は社是を発表した。
“相互信頼”という言葉を柱とし、高い理想を掲げた力強いものであった。
わが社は
相互信頼を基調とした
格調の高い社風を確立し
一丸となって
世界のワコールを目指し
不断の前進を続けよう
ところがこれを制定する時、役員会でまた一悶着あった。
“世界のワコール”という言葉を入れようとする幸一に対し、反対の声があがったのだ。
「社長、自分の目で世界を見てきはったんでしょう? 松下電器さんでさえ、まだ“世界の松下”と言えるかどうか微妙やと思います。それをうちが、いくら目標やいうても“世界のワコール”なんて言葉使ったら笑われまっせ」
50年計画によれば、60年代は第2節「国内市場の確立」期にあたるが、社是は70年代に達成しようとしていた第3節「海外市場の開拓」を見据えたものでなければならない。
だから幸一は世界という言葉にこだわった。いや彼は、一貫して50年計画にこだわり続けたのだ。そしてついに反対する役員を押し切った。
彼は前年にあたる昭和38年(1963年)7月、京都経済同友会の産業視察で浜松の本田技研工業の工場を訪れていた。本田宗一郎は経営者にとって、松下幸之助や出光佐三と並び、神様のような存在だ。
幸一の脳裏には、その時に目にした光景が焼きついていた。それは工場に貼ってあった“世界のホンダ”というスローガンである。
当時のホンダは、オートバイから四輪車に参入して間もないころ。まだまだ世界企業とはほど遠い状況だったが、彼らが絶えず世界を意識していることに深い感銘を受けた。
(ワコールも世界を目指すんや!)
その時の感動が、幸一は忘れられなかったのである。