経営 × 採用

500年企業・虎屋が社内に親族は「一人だけ」にする理由

多田洋祐 [ビズリーチ取締役・キャリアカンパニー長]
【第11回】 2017年5月12日
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虎屋に変化をもたらすためには、フランスでなくてはならなかった

多田洋祐・ビズリーチ取締役・キャリアカンパニー長

多田 今のお話は「変化に即応する」とも言い換えられるのかと感じましたが、その考えは先代から受け継がれて根付いているものなのですか?

黒川 「根付いている」というよりは、考えざるを得ない「きっかけがあった」のだと思います。

 1970年代の半ばくらいでしたが、和菓子屋はこの世からなくなっていくかもしれない、という不安に駆られたことがありました。しかし、我々としては、なくすわけにはいかない。

 そのとき、それまであった「新しいことをはじめるのではなく今までのものを大切に守っていれば問題ない」という会社の雰囲気や風土、自分の気持ちも含めて、全てに対して疑問を抱きました。

多田 その疑問符が1980年のフランス出店にもつながったのですね。

黒川 そうですね。当時、パリ出店を決断したのは父で、「どうしても出す」と意志が固かった。私は出店自体には賛成でしたが、出店の仕方には口を挟みました。

 実はそのころ新しいことや変化を求める動きに対してネガティブな空気や後ろ向きな姿勢が社内に蔓延していました。一方で、何かをやらなければいけないという想いは共通していました。タイミングとして社長の「どうしてもパリに出す」という意思と、「何かをやらなければいけない」という社員の心が呼応したと思います。

 海外に出た理由としては、これまであまり公にはしていなかったのですが、当時は「日本での事業展開では虎屋に変化をつけられないのではないか」と思っていたからです。古くからある会社だからこそ日本国内では新しいことはやりにくそうだ、しかし何かを成さねばその歴史も終わってしまうという不安の中で、虎屋も和菓子も認知の低い異国であれば試せるかもしれないと考えました。

多田 苦労も多かったのではないですか。

黒川 ええ。我々が大切にしている羊羹ひとつとっても、最初にフランスで言われた言葉は「黒い石鹸みたいだ」。辛辣な表現から始まったわけですが、「カラフルで小ぶりなものがいい」「香りのするものがいい」といったフランスの方々の声を直接お聞きすることができ、考え方を変えられたのは得難い経験でした。

 その延長線上に、現在のTORAYA CAFEがあるとも感じます。今でこそ「みんなで新しいことをやろう」と声をかければ、社員も意気込んでやってくれますけれど、その環境に至るまでには25年くらいかかっているわけですね。

多田 和菓子業界としても転換点のひとつであり、新しい道につながったのではと思いますがいかがですか。

黒川 業界は難しい状況が続いています。後継者問題もよく耳にしますし、東京和生菓子商工業協同組合の会員数も毎年減少している。和菓子全体の需要も、数字を見ても最盛期に比べれば下がっている。非常に厳しい現状です。

 ただ私は、景気の悪さを理由に、虎屋も含めて全体的な努力不足は否めないと思うのです。なぜなら、自動車が1台売れるのと、和菓子が1つ売れるのは、全く異なる話だからです。

 仮に500万円の車が買えなくとも、どうしても食べたくなる500円の菓子があれば、そちらを買っていただくのは車に比べたら無理な話ではないはず。つまり、お客様が満足されることを我々がうまく見つけられていないわけです。だからこそ生き残れないことはないと思うのです。

多田 顧客志向の努力を続けることで勝機が見えてくるのですね。

黒川 そう思います。パリ店の売り上げも前向きな数字になっています。和菓子というものを和食と同じく捉えていただき、万国共通で「ヘルシーさ」が評判を呼んでいる見方もあります。分析の結果はこれからも様々出てくるはずですし、それをモノとしてどのように表現していくかを考えていきたいですね。

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企業における「採用」を考える

多田洋祐 [ビズリーチ取締役・キャリアカンパニー長]

トップヘッドハンターとして活躍後、人事部長として株式会社ビズリーチ入社し、入社時に従業員30人だった組織を4年で500人に拡大させる。現在はキャリア事業のトップとして事業全体を統括し、「ダイレクト・リクルーティング」の日本での本格的な普及に努める。

 


経営新戦略3.0

これまで数々の企業と対話を重ねてきた採用コンサルのプロが企業に横たわる経営課題をトップに直撃、その解決策について議論する。

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